以前に読んだ「細川ガラシャ夫人」、ちょっと違った歴史観に興味を持ったという事もあり、書店で三浦綾子さんの同書を購入した。

題名にあるように、妻たち・・・当時のお金持ちには多妻家が当然のように存在したようだ?
千利休もご多分に漏れず多妻家であったが、能楽師の後家さんで、おりきさんにぞっこん。
おりきさんもまた、千利休にぞこんと相思相愛の夫婦で有ったとのこと。
さて茶道とは、単に流暢なお茶をたてる技はなく、おもてなしに心を込めて工夫し表現する事で、常に進化し精進を続ける事が求められる道のようであるようだ?
また利休は、茶室の空間を権力も貧富もすべてを超越した理想空間と考えていたようであるが、これが奇しくもおりきが入信したキリシタン思想と相まって、利休は大いに影響を受けたようである。
しかし、神を第一とするキリシタン思想の広がりで、デウスさまのお使いの神父の命令に忠実な大名、キリシタンにこの国を乗っ取られると危惧した時の権力者秀吉の焦りを生む事となる。
方や利休には国家権力には興味はなく、日々の精進から得た人徳は多くの武将たちから慕われることとなるのであるが、そこに秀吉の不安と嫉妬が芽生え始め、石田光成等の策にはまり、遂には利休に切腹を申し付ける事態になるのである。
利休70歳、大政所、北政所に嘆願をし命乞いをすればあるいは助かったかもしれない命!
「茶人の最後の姿を見られよ」
見事に割腹して果てるのである。
歴史とはなんとドラマチックなものなのか・・・・
特に偉人とよばれる人の生涯は・・・なんて思った次第だ!
もっとも小説の話だが・・・????