池波正太郎「男の作法」を読んで | 為次郎のブログ

為次郎のブログ

面白きこともなき世を面白く( ^ω^)・・・ですね!

とにかく食を通じ、暮らしを通じ、家族を通じ、多彩に男の作法と言うよりも生き方が書いてある。
 
先ず基本となることは、オギャーと生まれると同時に死に向かって生きて行くものだそうだ。
 
死を意識して生きていくことで、相手に接することも、時間の使い方も変わってくる、365日麻雀だけに没頭した人と、映画を見ることに、本を読むことに没頭した人では、確実に男の磨きが違ってくるとおっしゃる。
 
また、英雄は神経が図太いのではなく、細心であるが気分転換のできることが必要とも書いてある。
 
苦しいときでも、美味しいトマトを食べると美味しいと思えるゆとりも必要なのだろう。
 
いずれにしても、男の磨き砂は日常の心構えにあるようだ。
 
 
 
もっとも感心したのは、池波氏が小学校卒業で株の仲買人をし、都の職員となり、脚本家となり、今も脈々と人気の鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛人・藤枝梅安、真田太平記の三大長編と多くの歴史小説を書いたことだ!
 
勿論、当時は頭の良し悪しが進学するのではなく、金の有る無しで進学する時代で有ったので今とは事情が違うだろうが、多くの体験がこれだけの大作を生み出したのだ。
 
死に向かって生きている・・・自分もまたひとも・・・・と考えると・・・
 
確かに・・・景色が変わるかも知れない。