西行は、清盛に反抗する勢力、比叡山、興福寺に対し、奈良は焼くなよ懇願したらしい。
が・・・ついに、清盛は興福寺も東大寺も焼き討ちしてしまう。
天罰(それは無いと思うが・・・)清盛は水風呂に入れても湯に成るほどの高熱の病で逝ってしまうのだ・・・
西行は、清盛の死後、東大寺再興の勧進のため頼朝のもとを訪ねる事となるが・・・
頼朝も一角の者・・・西行の人格風格を認め協力する・・・
『清盛とわしとは、花びらの表と裏よ・・・』と言ったかどうか分からないが、嵐山氏はそう書いている・・・
それにしても、隆盛のままの興福寺、東大寺が見られないのは、これは真に残念!
歴史は戦争の歴史でもあるかもしれないが、失った遺産も大きい???
花の裏であっても、表に見える以上に生きたぬいた西行に思いを馳せる!
以上で読了なり!