【平治の乱と西行】 | 為次郎のブログ

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面白きこともなき世を面白く( ^ω^)・・・ですね!

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清盛が20名ばかりの精鋭を引き連れ、熊野参詣と称して京都を留守にし・・・

その間に義朝に隙をみせ、義朝が軍を起こすと同時に・・・・

熊野の平氏を引き連れユーターン、六波羅の重盛と挟み撃ちで義朝を滅ぼし、覇権を得ようと云うもの・・・・

正に、歴史の舞台では、絵に描いたように進むのであるが・・・

嵐山光三郎氏は、この案を西行が清盛に説いたと書いている・・・????

ただし、条件として配流されている讃岐の崇徳院の赦免を要求したと?



このとき既に辞世とされる
『願はくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃』
と、詠んでいたと云うが・・・・

西行のイメージが単なる歌人というよりも、哲学者的英雄像に変わって来た???

ほんまかいな~強すぎて、爽やか過ぎる西行さん???

まだ、本も半ば成りしが!