「関が原:司馬遼太郎」も、秀吉が死に、利家が死に、いよいよ家康の謀略が芽を吹きそうなところまで来た・・・
そこで、今は対峙する三成の余談で、兼続との出会いの紹介である・・・
秀吉、いよいよ越後を攻めんとするも、彼独特の捨て身戦法にて、三十旗程で景勝に面談を申込に行く、上杉家では討伐してしまえの意見のある中、謙信公の意を受け継ぐ、景勝、兼続は、それはわが上杉の戦法に有らずと十旗ほどで、面談におもむく・・・
(これは、秀吉が景勝、兼続の性格を読んだ上での行動・・・)
この席には、秀吉、景勝、三成、兼続の4名のみ・・・
26歳と同年齢と、色白小柄の両人は、教養、思想も一致し、以後関が原の戦を企てるまでに至る事となる。
これほどの構想を思いつくのは、謙信公、太閤を除いては、三成と自分以外にいなであろうと、兼続の独白が続くが・・・
徳川の治世になると、豊臣政権を奪うに付け、三成は奸人とたのに、兼続は快男児として位置付けたとか???
見てきたように、書いているが・・・
NHK大河の二人の出会いのシーンが、今から楽しみだ!