苛め被害を克服した話 | White hat hacker hachi のブログ

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ロシア帰りの純粋な日本人ホワイトハッカーのブログです。

●パシリ卒業

 

 

小学校低学年時代は余り勉強が出来なかった。

野原を飛び回るのが忙し過ぎて、勉強をする暇など無かった。

そもそも、勉強は良く分からないしつまらなかった。

ただ、その頃、「何とか劣等生から脱却したい」と、母親と一緒に主要5教科を少しずつ勉強し始めていた。

母親の教え方は上手で、一緒になって考えてくれるので何時の間にか自分は勉強が楽しくなっていた。

勉強は少しずつ成果が出始めると楽しくなる。

「算数」などは、少しずつかなり難しい問題とも取り組む様になっていた。

 

 

自分は叱られるより褒められて伸びるタイプの様で、褒められると嬉しくなるので上手に煽てられながらゆっくりと成長して行った。

難しい問題を解くと、次はもっと難しい問題を解きたくなる。

それで、当時からあった「受験研究社」の参考書を隅々まで読んで全て理解していた。

当時、かなり悪い連中と付き合っていて「パシリ」の様な役割をしていた。

ボスの言う事を聞いている限りは虐められないからだ。

ただ、少しでも自分を主張すると酷い嫌がらせを受ける。

時には自分の気の進まない事(誰かを虐めるなど)もしなければならなかった。

だんだん、我慢をして今の立場に甘んじるのが嫌になってきた。

勉強も少しずつ出来る様になると、自然と付き合う仲間も変化して来る。

自分自身、この頃、悪い仲間との縁を切りたいと望んでいた。



●柔道の技を習う

そこで、誰にも内緒で柔道をやっている先輩に頼み込んで「柔道の基本技」を教えて貰った。

もちろん、「喧嘩で使う」などと言う事は内緒だったが、先輩は本当は薄々気が付いて知っていたかもしれない。

 

それでも、優しい先輩は丁寧に教えてくれた。

 

最初は「受け身」を習ったが、直ぐに覚えた。

 

技は、主に投げ技を教えて貰った。

「巴投げ」や「大外刈り」、「小内刈り」など、全て相手の力を利用しての「投げ」だ。

力の入れ方とタイミングが全てで、全部上手く行くと強い相手でも一瞬で投げ飛ばせる。

まるでドラマの主人公のジャッキーチェンになった気分で、毎日、少しずつ基本を練習した。

練習は決して十分ではなかったが、ある程度、自然に体が反応して技を掛けられるようになっていた。

たまたま、昼休みに校庭で普段から面白くないと感じている「チンピラクラスのワル」に絡まれたことがあった。

自分はいつものように最初は逃げた。

逃げるから相手も反応して追い掛けて来る。

しかし、いつまでも逃げ回っては居られない。

当然、追い詰められて「袋のネズミ」。

覚悟を決めた自分は、思い切って反撃に出ることにした。

 

(これだけでも、大きな進歩だった)

 

突然立ち止まると、相手が飛び掛かって来るタイミングに合わせて、ベルトに両手を掛けて引くと共にそのまま自分から後ろに倒れ込む。

大きな力は使わず、その代わりに「体重移動のタイミング」だけに全神経を集中した。

相手は空中で一回転して着地すると前方につんのめり、へなへなと座り込んだ。

たまたま上手く行っただけかも知れないが、本当に驚いたのは自分の方だった。

余りにも奇麗に技が決まったからだ。

幸い、彼はどこも打ってはおらず、「投げられた」と言う精神的ショックだけが大きかった。

「戦意喪失」とはこの事で、相手は自分の顔を見ると恐怖で「ブルブル」と震えていた。

一瞬、両手の中指と薬指に軽く力を入れただけでも、タイミングがぴったり合って大きな力が働いたようだ。

相手の「皮製のベルト」は真ん中から真っ二つに切れていた。

相手は、真っ青な顔をして「もうしませんから勘弁して下さい」とかなんとか訳の分からないことを言ってそそくさと逃げ帰った。

この時は、「大岡越前」か「暴れん坊将軍」にでもなった積りになっていた。

「もう、弱い者虐めはしないか?しないなら許してやろう!」とセリフを吐いていた。

もしかすると、歌舞伎役者の様に大見得を切っていたかも知れない。

(相手は、「もうしませんから許してください」と言っているのに…)

現場には何時の間にかギャラリーが出来ていて、少なくとも10人程度の在校生がその様子を目撃していた。

学校での「噂」の拡散のスピードは恐ろしく速いもので、その日の内にすぐに全校の話題になり誰もが知る事となった。

そして、「あいつにだけは手を出さない方が良い、半殺しにされるぞ」とボスらからも恐れられた。

この時の出来事は自分から誰かに話す事は決して無かったが、以後、二度と虐められる事は無かった。

そればかりか、学校の不良連中とはきっぱりと縁が切れた…。

4年生になると勉強の成果も次第に出始め、自分は「劣等生」から「優等生」になる階段を着々と登り始めていた。

この日の事件は、自分が大きく変わる転機になった事は言うまでも無い。



●お断り

この話は、「良い悪い」は別として、自分が経験した「虐め被害克服の実話」です。

今でも虐めに立ち向かう方法として一部は参考になると思います。

ただ、これは昔の話であり、今と昔では環境が違います。

昔は、学校の校舎は「木造」でしたし、田舎の道路も「舗装」はされていませんでした。

草ボーボーの空き地も至るところにありました。

子供同士の殴り合いの喧嘩も、昔は普通にありましたが今なら大きな問題になります。

だいたい、今と昔では「虐めの質」も違いますから参考にはならない点も多いでしょう。

だから、単純に「虐め克服は自分と同じ様にしろ」とは言いません。

ただ、「何時までも逃げては居られない」とか、「問題は自分自身で解決するしかない」と言うのは今も昔も変わりはありません。

 

※「柔道の技」を喧嘩で使ってはいけません。

そもそも、喧嘩はしてはいけない!