「to do」と「not to do」 | 自己治癒力向上大作戦

自己治癒力向上大作戦

Body~Mind~Spirit~Soul~3rd-dimension~5th-dimension
このつながりこそがwellness~Happiness~LOVE


テーマ:

「なにをするか」より「なにをしないか」が、

アイデンティティを守り、指針と疑問をつくる

 
本日のAi-amのブログのタイトルです
 
このフレーズの完成度に
ズキュンと撃ち抜かれました
 
以下抜粋
 
***
 

生きるうえで「しないこと」を持つことは、指針になります。
「すること」はときどき偽善的で、「しないこと」は自分だけが見つけ出せるもの。

「子どもを尊重する」よりも、「子どもをないがしろにしない」のほうが、それに沿って生きられそうな感じがしません?
「子どもと対等に接する」よりも、「子どもをばかにしない」とか。

「自分らしく生きる」と掲げるとき、じゃ自分(らしさ)ってなんだろう、という疑問には案外辿りつきづらかったりする。
「自分らしくないことはしない」と掲げるとき、わたしたちはその疑問に辿りつきやすくなる。

 

***
 
たとえば
 
牛乳を飲まない
テレビを観ない
ワクチン打たない
学校に行かない
就職しない…など
 
多くの人が
あたりまえのこととして
疑問を持たずにそうしていることを
「しない」と決めるには
そこに至った理由があって
その理由はなんらかの疑問からたどりついた答えのことが多い
 
 
たとえば
「こどもをバカにしない」これはわたし自身
ずっと大切にしてきたことで
ついでにいえば
「だれ(なに)のこともあなどらない」
というのが根本にあります
 
もうひとつ
「わかったようなつもりにならない」
 
「なるほど」の積み重ねはもちろん
次の行動の自信にはなるけれど
「なるほど」は「じゃあこれは?」という次の疑問を必ず引き連れてくる
 
だからいつまでたっても
完全に理解することなんてできない
という前提ですべてを受け止めています
 
 
そして「(あたりまえのことを)しない」についてくる
その代わりになることをしたりしなかったりという選択
 
自主的で自由で、創造的で、共感がつながりを呼ぶ
とてもハッピーな状態なのだけれど
「あたりまえ」の枠の中にいる人にとっては
なんとも心もとない不安だらけの状態にも見える
 
 
「指針と疑問」というのは本来
自分の中から湧き上がってくるもの
だと思うのですが
 
「なにをするか」という
すべきなにかを探そうとすると
外からくる情報に頼りたくなる
 
知識がなければ正しい行動が選べないかのような錯覚
 
ほんとこれ、錯覚です
 
知識と情報よりも
自分がどうしたいのか
どうありたいのか
それは
あたりまえとされていることを問うてみて
自分らしさを損なっていないかどうか
確認したうえで
いちから
選びなおすだけのことなのですから
 
 
ひろの拝
 
 

たまゆらさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

SNSアカウント

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス