「正解するために生きてるんじゃない」 | 自己治癒力向上大作戦

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久々のコーシン

とりとめなく書きます

 

 

 

よっぴー&まりんの

「オールナイト座談会のリポート」

にあった

 

「正解するために生きてるんじゃないんだから!」

 

という言葉にグッときました

 

 

「どんなに良い人間でも

きちんと頑張っていれば

誰かの物語では悪役になる」

 

これはツイッターからの拾い物

 

 

「正しさ」や「正解」とされるものは

おおむね

誰かや何かの教義にのっとったもので

常に例外があります

 

その例外的「モノ・ヒト・コト」に出会ったとき

私たちは「正解」とされている範疇と

そこに含まれない世界の境界線を認識するわけです

 

そこで、です

これまで認識していなかった境界線の外にある

ヒト・モノ・コトなど現象に

どんな態度をとるのか…

 

驚く

笑う

無視する

批判する

排除する

糾弾する

 

だってそれは「間違いなんだもん」

 

 

そうだね

あなたの世界における価値観や尺度でいうと

間違いなんだね

 

でも

あちらの世界における価値観や尺度では

あなたの方が間違いな可能性は無いのかな?

 

とね、

視点や観点を移してみるだけで

「正解」はひとつではないことが見えてくる

 

ようは、その

「視点を移す」という意識のなかの振る舞いを

してみるか否か

 

オールナイト座談会は

テーマを決めておしゃべりすることはしません

 

よもやま話があちこちに脱線したり膨らんだりしぼんだりしながら

ときにしみじみしつつ

ときに大笑いしつつ

眠くなったら居眠りしたり

ソファにごろんと寝たり

月を眺めに外に出たり

飲んだり食べたり

あっちでは別の話で盛り上がってたり

過ごすうちに

白々と夜が明けてくるのです

 

 

とにかくたくさんしゃべったのですが

もう、何についてどんな話をしたのか

鮮明に思い出せないくらい

かといってなんの意味も価値もない話だったのかというと

宝物のような時間であったことは確かなのです

 

 

細かな文言までは再現できないのですが

 

よっぴーが

 

わたしたち(いわゆる少数派)のことを

批判したり、否定したり、排除するような人がいるけど

わたしたちは

否定したり、排除しないよね

指摘はするけどね

ただ、「こんなのもアリだよね」って

認めてよって言ってるだけだよね

だって

わたしたち、存在を認めてもらっても

誰のことも否定したり排除したりしないもん

 

というようなことを

ぼそぼそと仰ったのが妙に印象に残っていて

 

これが今という時代を象徴しているような気がするのです

 

 

男性性が優位に支配する時代から

女性性が尊重される時代への転換期(2000年サイクル)

といわれていますが

 

確かに日本にもジェンダーの概念が入ってきたのが1980年代半ばでした

それから30年経って

いろんな面で多様性についての議論もなされるようになり

変わってきた部分もあります

 

確固たるヒエラルキーのなかで

支配し、支配される関係がフラクタルに広げられるのではなく

フラットな関係性のなかで

互いに尊重しあう共働の喜びが広がる動きも

見られるようにもなりました

 

ですが

まだまだだなぁ…というのも実感としてあって

(日本じゃ盛り上がらない#metooとか

好き放題のお手盛り采配をし続ける権力者とか)

悪あがきのようにも見えなくはないのですが

それを許容しているニッポンの雰囲気というのが

いかにも日和見な国民性の表れのように見えて

ちょっとした無力感に襲われたりもするのです

 

そんなこと言っても

日々は過ぎていくわけで

先日はここ佐用町上三河のたまゆら堂に

ようやく本棚1号ができました

 

 

和歌山から引っ越して以来

ほぼ2年ぶりに再会する本たち

 

本棚ができたことがうれしすぎて

ろくすっぽ分類もせずにとにかく詰めてみた!

というような並べ方を眺めてふと思ったのは

 

「カテゴライズして並べるのは止そう」

 

もちろん

それぞれの本を入手した経緯や意図は

何を知りたかったかという

特定の分野や現象に向けられた関心や興味に基づくものなのですが

根っこの根っこにあるものがなんなのか…

その探求のプロセス上にあるのは共通していて

分類するより

全体を眺めて目に留まるものを読み返したり

読みたくなった本を探すときに「そうだそうだ」と

目に留まった本も手に取ってみるのが

とても楽しそうに思うのです

 

 

「まくのうちせらぴー」の膜のとらえ方について

以前、FBでつぶやいた言葉があります

 

ひとは「わたし」という個人と
「わたしたち」というつながりの間をゆらぎつつ存在するものなのね。

隔てているのは皮膚という「膜」だけれど
全ての膜がそうであるように
膜とは隔てる機能と、つながり交わる機能を併せ持っている。

膜と流れを意識して体を使うと
カラダもココロも心地よく変化を始める。

そんなことを伝えたいのが
「まくのうちセラピー」♡

 

こちらは最近の

 

寄り添うこと
ただそこにあるということ
認めるということ
一体になるということ
…そんなことを精神論ではなく態度として学ぶための講座です。

 

 

いま、そのひとがとりたい姿は

わたしではなくその人のカラダが知っていることであって

本来あるべき姿をセラピストが押し付けることは

おこがましいことである

という考え方です

 

なので

そのようなカラダの使い方、

立ち居振る舞いとしての態度をするうちに

意識もそうなってゆく

 

よっぴーさんの言う

「否定も排除もせず尊重する」

というのは言葉にすると簡単ですが

意識、精神レベルでそう「ある」ことは

経験がない人にはなかなか難しいものです

 

でも

動作や感覚で身についたものは

思考にも影響を与えます

 

「正解」と「間違い」の境界線に疲れたら

それが無い世界があるのだということを

思い出してください

 

「オールナイト座談会」はまたどこか

たぶん次は宝塚で開催の見込み

 

視点をずらす

誰かの価値観から、過去から、自由になるということ

 

多くのひとにその至福が味わってもらえますように

 

 

ひろの拝

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