おはようございます合格 ぽんぽこです。

 

次男Rくんにうつされたであろう風邪に苦しんでおります。

 

さてさて…。昨日はTくんの保育参観でした。

そして先日はRくんの保育参観にも行ってきました。

 

私は「ママ友」という付き合いが苦手です。

というか、年々嫌になっており、気が付けば出来るだけ誰とも話さずいたいので、そっと現れ、そっと去っていくスタンスを貫いています。

 

Tくんが入園するまでは何となく、親しいお付き合いをするママ友という関係もありましたが、それも今は全部切ってしまいました。

 

Rくんの園生活は、怒りたいのは食べ方の汚さと、

食べ物を道具にしてふざけるくらいのもので、

朝のお祈り、お着替え、トイレ、挨拶、お友達との関わり、成長、言葉の発達。

親として、なにも心配することは無い。

ああ、これが定型という事か…と、つくづく思います。

 

それ故に、定型の子を持つ親が、Tくんみたいな子をどう見るのか? 

またTくんの親である私をどう見るのか? 

そんなことが、通常の人より良く分かって辛いです。ショボーン

 

当時のママ友は、私と話しながら信じられないという表情をしていました。

言葉には出しませんが、びりびりと感じるそのオーラ。

 

私もまた、Rくんだけのママであれば、そんな風に思ったでしょう。

勝手に子供が育つのですから。

 

私はTくんが年中に上がるころまでには、深読みのし過ぎで、

申し訳なさでいっぱいになってしまい

ママ友から徐々に距離を置くようになっていきました。

 

定型のママ友と付き合わない、もう一つの理由があります。

 

それが「変わってるね!」、「面白いね!」

という言葉です。

親しくなれば、避けては通れないほど連呼されます。

 

実は、私もまた発達障害であったと思いますが、子供のころから常に

「ぽんちゃんは変わった子」、「変な子」と言われて育ちました。

 

黒柳徹子著の「窓ぎわのトットちゃん」の、トットちゃんのような少女時代で、

私は窓の外をぼーっと見ることが多く、

塾の先生に「トットちゃん」とあだ名で呼ばれていました。

 

 

 

 

ウッカリもので、気になることがあるとソワソワしてしまう。

ピンクの可愛らしいものよりも、カラフルな原色のモダンなデザインを好み、

お人形よりもブロック、歌謡曲よりはマイケル・ジャクソン、物語よりは図鑑が好きでした。

 

親しみを込めたり、興味をもったりして直接本人に言う

「変わってるね!」

と言う言葉の裏が読めず、侮辱の言葉にしか響きませんでした。

本当に侮辱なら、陰で「あいつ変だから」と言うのに、精神的にも遅延している子供には

それが分からないんですよね。

 

「ああ、私? 変わってるから」

と、あっけらかんと自分で言えるようになったのは、成人してからのことでした。

 

ゆえに、Tくんは今、「変わってるねぇ」とか、「Tくん面白いね!」と、

言われるたびに、かつての私のように少しずつ傷ついています。

 

小さな体で身をこわばらせ、小さなこぶしを作って小さく

「ちがう!」というTくん。

ああ、言わないでやってくれたらいいのに…と思い、ママ友同士で公園に行くなんてことが嫌になってしまったのです。

 

「変わっている」や「面白い」という言葉ではなく、「ユニーク」と表現するか、もしくは

「面白いからもっとやってよ!」と言うか、

「変わっているけれど、発想が斬新で面白いね。すごい事なんだよ」

同じようでもここまで言わないと、発達障害児であるTくんには理解できません。


定型の人には何の悪気も無い一言なので、

私も直接こんな事は言えません。

 

結果、私は定型のママ友と関わらないという、究極の選択をすることにしました。

寂しくない訳がないけれど、

焦ったり、何気ない一言に振り回されなくて済むようになりました。

これが良い判断かどうかは分かりません。

 

ただ、勝手なもので、同じような境遇のママさんに実生活でお会いする機会がなく、

同じような境遇のママ友は欲しいなぁと思うこの頃ではあります。

 

今日も纏まらない愚痴みたいなものを

最後までお読みいただきありがとうございます。