玉が逝って今日で3年が経ちました。
猫好きの方は誰しも、うちの子は特別だと、そういう感覚を持っておいでだと思います。
私にとってもやはり玉は特別な子です。
あの子のことを語ろうとすれば先ず自身のことを話さねばなりません。
玉が私の元に来たのは2000年の12月、暮も近いころのことでした。
私はその年、3月に弟を病気で亡くしました。
息子を追うように、父が発病し、12月初めに他界。
父の葬儀も終え、しばらく休んでいた仕事に復帰はしたものの
もとより笑う気にもなれず、食べものを味わう余裕もない私を見かねて
職場の友人が玉と私を引き合わせてくれたのでした。
初めて手を差し伸べた私を怪訝そうに見つめて
それでも指先をペロリと舐めてくれました。
その時から彼女は私のうちの子になりました。
弟のこと父のこと、一人で暮らす母のこれからのこと、
弟が逝ったときの悲しみ、闘病する父の苦しむ姿
常にそれらが私の中に犇めいて本当に辛い毎日でした。
丸い目と柔らかくしなやかな身体で飛び跳ねるように遊ぶあの子は
暗く沈んだ私の側を片時も離れず、
その悲しみを小さな身体で受け止めてくれました。
やがて気付けばスポンジのように痛みも辛さも吸い取って
知らないうちに私を明るい気持ちにしてくれていたのです。
子供の頃から猫が好きで、これまでも沢山の猫と過ごしてきた私ですが
『たまは特別な子』・・そう思うのはそんな理由があってのことでした。
遊び疲れるとかならず私の顔に自分の顔を寄せてきます。
それは大人になってからも変わらず、
私の気持ちを読み取るかのようにじっと見つめたり、手を舐めてくれたり
猫とはそういうもの、なのかもしれません。
でも、それは私にとって代えがたい大きな慰めでした。
玉の亡くなる半年ほども前からでしょうか、
もともと抱っこの好きだったあの子は膝の上に乗るだけでは飽き足らず
暇があれば私の肩に頭を乗せ、もたれるように抱かれて過ごしました。
片手を玉に取られたまま、私は洗濯物を取り込んだり畳んだり
あの子の重さがまだ左の肩と腕に残っていて、思い出すと未だに涙ぐんでしまいます。
秋が来れば19歳、それを待たずに7月18日に逝ってしまった、玉
長い月日の思い出はわたしの大事な宝物です。
また玉のこと、少しずつ書こうかなと、丸3年経って思うようになりました。
元気だったころの玉はほんとうに美しい猫さんだったのですよ^^


