それは私が小学校4年生の大晦日のことでした。
夜汽車に揺られて祖父と三つ違いの弟と三人で旅に出たのです。
夜汽車に揺られて祖父と三つ違いの弟と三人で旅に出たのです。
博多に祖父の姉が居てお正月に遊びに来るようにと招かれました。
寝台車が取れなくて普通の汽車
それでも指定席が取れた私たちはまだましで
大晦日の夜行列車の混みようは大変なものでした。
通路に新聞紙を敷いて寝るのは当たり前
私たちの座席の足元に身体を入れて眠りこける人も居ました。
小さなオレンジ色の列車内の灯りに照らされて
真っ暗な大きな窓にたくさんの人の顔が映っていて・・
誰かが聞いているラジオは紅白歌合戦でした。
弟と祖父はは早々と眠ってしまい
私一人ぽつねんと退屈そうにしているのを
向かい側に座っていたお兄さんがかわいそうにおもったのか
声を掛けてくれたのです。
「何処まで行くの?」
「博多」
「随分遠くまで行くんだね・・僕は広島なんだ・・・」
そして広島は行った事があるか?と
原爆は知ってる?と聞かれ
原爆は知ってる?と聞かれ
被爆したお姉さんが居ることを話してくださいました。
当時、6年生の私は戦争も原爆も学校で習った程度の知識しかなく
他所の世界の出来事のような感覚でおりました。
白血病という病気の名前もそのときが初めて知りました。
髪がね、抜けちゃうんだ・・・
そう聞いて、怖くなった私はたぶん涙ぐんでしまったのでしょう。
ごめんごめんと、慌てて鞄からひとつ蜜柑を出して下さいました。
冷凍蜜柑が程よく溶けてシャーベットみたいで美味しかった・・
深夜お兄さんは広島の駅で下車された様子で
目覚めたときにはもう姿が見えず
ちょっと寂しかったことを今も覚えています。
目覚めたときにはもう姿が見えず
ちょっと寂しかったことを今も覚えています。
時々掛かってくる献血の依頼に協力してきたのは
そんな遠い日の記憶がどこかに眠っていたからかもしれません・・