銀河鉄道の

ちょっとネタバレます。

 

明治29年、岩手で質屋を営む宮沢政次郎(役所広司)は、跡取り息子の誕生を電報で知り、急ぎ列車に乗っていた。

家に帰った政次郎は、店先にいる当主で父の喜助(田中泯)に挨拶もせず、息子の下へ駆けつけ叱られるが、喜助に息子の名前を「賢治」にしたと言われ、良い名だと喜ぶ。

 

政次郎は、賢治が幼少期に赤痢に罹った時、自分が病院に駆けつけ看病をするくらい溺愛していて、賢治が退院する頃に自身が腸カタルに罹り、その後腸の具合が悪くなることが増えるが、賢治が治った事をとても喜んだ。

 

その後政次郎は、賢治が中学に進学することを賢治(菅田将暉)の祖父に反対されるが、新しい父親になると言って賢治に学問をさせる。

中学を卒業すると、賢治は家業を継ぐのは嫌だ、進学したいと言い出し、さすがに政次郎は反対するが、賢治の妹のトシ(森七菜)が政次郎を説得する。

トシは小さい頃、賢治が作った物語を聞くのが大好きで、彼には物語を作って欲しいと願う。

 

賢治は盛岡高等農林学校に行くが、人造宝石を作ると夢を語り、元手の2~300万円はよろしくお願いしますと言い出し、政次郎と母のイチ(坂井真紀)は困惑し、イチは賢治は政次郎に褒めてもらいたいんではないかと話す。

祖父の喜助が亡くなると家に戻って引き籠る様になり、ある時宮沢家が信仰する浄土真宗ではない法華経にハマり、所かまわずお題目を唱え、近所の人が気がふれたと教えてくれると、政次郎は激怒する。

賢治は家出をして仕送りも送り返す中、妹のトシは東京の女学校に行き、教師への道に進んでいた。

 

ある日、賢治の下へ電報が届き、トシが結核に罹ったと知ると、彼は大量に原稿用紙を買い求め、物語を作って家に帰る。

トシは家にいると皆にうつしてしまうと、祖父の別荘で静養しているという。

賢治はトシに会うと、自分の書いた物語「風の又三郎」を読んで聞かせる。

トシは毎日賢治が読んでくれる物語に目を輝かせ、賢治がニコチンが結核に良いと聞くと、タバコを試してみたりするが、すぐにむせて吸えなかったと話す。

一時期病状も良くなったように思ったが、徐々に症状は進み、いよいよとなった時、家族はトシを家に戻し、家族が見守り最期を迎える。

 

火葬をしている時、賢治は法華経のお題目を泣きながら唱え、父は止めようとせずに、トシがいないと物語はかけないと泣き崩れる賢治を抱きしめ、自分が読むからと書くように励ます。

 

賢治は自分の詩が新聞で好評価されると、自費出版するが全く売れず、すべて買い取ると、祖父の別荘で一人暮らしをはじめ、作品を作りつつ近くの農民との交流をはじめ、農民に寄り添い自分の居場所を作っていく。

しかし、彼の弟清六(豊田裕大)から賢治がタバコを吸っていたと聞いた政次郎は、急いで賢治の下へ向かうと、賢治は文机に向かっていたが、原稿用紙についた血を見て病院に連れて行くと、レントゲンはトシと同じような影があり、結核と悟る。。。

 

良いお話でした。

 

子煩悩の父が病気のトシや賢治に寄り添い、賢治の亡くなった後は賢治の全集を作り、弟の清六が賢治の作品をを広めることに奔走して、それが今の様に有名になるきっかけだったそうですが、本当に賢治を愛し、彼の作品を愛していたと思います。

 

まだまだ不治の病が多くて、死が今よりもずっと近くにあった時代のお話で、映画にもあったように(窯が壊れたため)火葬も薪を積んで火をつけることもあったそうで、切実だったんだろうな~と想像できます。

 

政次郎役の役所広司さんが賢治が臨終の間際に「雨にも負けず~そういうものにわたしはなりたい」と手帳に書かれた賢治の詩を涙ながらそらんじる姿に心を打たれ、良い詩だと父に褒められて嬉しそうに逝った賢治は幸せだったと思います。

 

わたくしは小学校の頃、図書室で見つけた宮沢賢治の童話を読んで、擬音語や擬態語が変わってて印象深く、一気に彼の童話にハマりました。

 

定期的に彼の本は読みたくなって、大人になって宮沢賢治の生い立ちに絡め、彼の作品が書かれている本を見つけて、今でも時々読んでいます。

「雨にも負けず~」は戦時中に最初の部分だけ戦意高揚のために使われてしまいましたが、本当は自分がなりたい人物像を詩にしたもので、これを読むとなんだか涙が出ます。

 

文豪と呼ばれる人は、世に出ている良い所だけじゃない、本当はハチャメチャな人物が多いのですが、宮沢賢治もかなりハチャメチャで親に迷惑ばかりかけていたのですが、政次郎とイチが両親で本当に良かったと思います。