小さい頃から、まぁなんだか生きづらいと思っていたんだけど、それはやはり他者との関係がうまくいかないと常に感じていたから。



他者との関係において、


自分が何を感じているのか、感じていることをどう言葉に表すのか


ではなく、


今はどう感じるのが正解なのか、どういう事をいったら受け入れてもらえるのか


を常に考えていた。


こんなことを考えながら他者と接していたら、生きづらいのは当たり前だった。


また他者の顔色を伺う一方で、逆に相手の気持ちを考えない失言をすることもよくあった。


当時は自分の気持ちがなんなのか、もう何が何だかわからなくなってしまっていた。

いつもベクトルが自分に向いていて、どう見られるかばかりが気になり、相手のことを考える余裕は全くなかった。



そうした状態から抜け出したくて、

ここ12年ぐらい自分の心と向き合ってきた。



そして、いま


本来の自分を出したい

本来の自分で生きたい


と強く思うようになった。


誰からも嫌われたくないと思っていたので、

万人受けするよう、

癖のある考え方や態度、

自分の好きなものや人(少数派)、

弱い自分やできない自分

をなるべく出さないようにしてきた。


取り繕ってきた。



だけど、もう40代も半ばになって、

正直、取り繕うのも

面倒くさくなってきた。



本来の自分は、


おっちょこちょいで抜けていて、

基本テンション高いし、エネルギーもある。

理屈っぽいし、納得いかないことは詰めるし、怒るし、イライラする。

突っ走るし、金銭感覚はちゃんとしてない。

先を見越して計画するのも苦手。


また私を知っている人からは意外に思われそうだが、家では訳わからないことを言ったり、変な動きをしたり、人を笑わせて面白いと思ってもらえることが嬉しいタイプ。娘には好評を得ている。


そして、そういう自分を自分は嫌いじゃない。

なのに、ずっと他人からは受け入れられないと思い込んで出さずにいた。


長年、一緒いた友人に時々、自分の言動を気持ち悪いと言われていたことも影響しているかもしれない。けれど、そういう友人と一緒にいる事を選んだのは当時の自分なのだから仕方ない。


自分を取り繕うことなく、人とざっくばらんに肩の力を抜いて、話してみたい。

意見がぶつかったり、怒ったりしてもいい、自然なコミュニケーションをしてみたい。


加藤諦三先生の

「人間の唯一の義務は自分自身であること」

という言葉を胸に留めておきたい。