思い返すと俺は
ず~っとバンドばっか
やってきたんだよなぁ 。

最初は小学生の時。
青森のマセガキだった俺等を
直撃バイヴしたのはYMOだった。

とは言ってももちろん
スネークマンショーで
中でも好きなギャグは
『だぁれぇ~?』 。

音楽の方はあんまり
よく分かんなかったけど
中にマセた友達がいて
音楽がいいんだよ、と言う。

誘われるまま
バンドを組むも
何故かドラムに。

音楽室から鼓笛隊の
スネアをちゃっかり拝借
他パーツは冗談抜きに
バケツやら金だらい。

他の2人のメンバーは
教室の隅にあった
ギコギコオルガンと
あと、当時流行った
線さすとビヨ~って
電子音が出るやつ。

バンド名、宮沢バンド。
担任が宮沢先生だったから。

インベーダーゲームを見付かって
みんなの前でケツバット食らったり
何かしちゃ怒られてばかりだったけど
先生の名前をバンド名に付けるあたり
マセガキと言えどものどかな青森げ。

小5の年度末のお楽しみ会で
発表したのが初ステージ。

もちろん演奏なんて呼べる
代物ではなかったけれど
とにかく興奮したことだけは
今でもよく覚えている。

多分、音さへ鳴ってれば
良かったんだろうなぁ。

異様だったはずである。
金ダライポコポコ叩いて
ギコギコオルガン弾いて
んでビヨ~、とかいって
興奮してるんだから。

でも他のクラスのやつとか
窓越しに覗きに来てたりして。

担当ではなかったけれど
今でも鍵盤の前に座ると
『TOKIO』を弾く自分が笑える。

次にバンドを
組んだのは
中学2年生の時。

当時学校には
音楽サークルや
部活もなく
先生に直訴して
部活を立ち上げて
文化祭に出たり。

バンド名
セクシー4+マタ。

何故こんなバンド名に
なってしまったかは
今となってはもはや不明。

なんだかなぁ。
頭悪いよなぁ。

こんなバンド名で
先生に直談判
してたんだからさ。

「何とかセクシー4+マタの演奏を
 文化祭でやらせて下さい!
 俺達真剣にやりますからッ!」

ってちっとも真剣な音楽やる
バンド名じゃねえよッ!

ちなみに
この時出会った
相馬ってやつと
以後10数年に及び
バンドを続けて
いくことになる訳で 。

その中でその後
ポカスカジャン
リーダーである
のんちんとの出会いも
生まれることとなる。

…。
さぁて困ったもんだ
遂に始めてしまった
この物語…。

果たして
読む人は
いるのだろうか…。
否、構わず更新!

次回『悲しき9弦ギター』
乞うご期待通り越して
宗兄弟は今何処の監督ッ?