『道徳感情論』の主な目的は、社会秩序を導く人間本性は何かを明らかにする事である

 

 

社会秩序とは、社会を構成する人全員が何らかのルールに従うことにより、平和で安全な生活を営むことである、社会秩序を基礎づける原理、すなわち道徳原理は感情に基づくとスミスは考える。



 

スミスは、私たちの中にあるさまざまな感情、喜び、怒り、悲しみなどによって社会秩序が形成されると考えたのである。

 


 

人間は、自分の利益を考える存在ではあるが、人間は自分の利害に関係なくても他人の運不運や境遇に関心を持ち、それを観察することによって自分も何らかの感情を引き起こす存在なのである

私たちは、想像の中で、自分が当事者と同じ境遇にあったならば、どのような感情や行為をするだろうかと想像するのである。


 

 

私たちは、自分の感情や行為が他人の目に晒されていることを意識し、他人から是認されたい、他人から否認されたくないと願う、この願望は人類共通のものであり、しかも個人の中で最大級の重要性を持つのだと考えた。

他人から是認されるのを願う結果、自分の感情や行為を他人が是認できるものに合わせようとする。

 

 

 

私たちが自分の感情や行為を測る基準として、自分の中に『公平な観察者』を作る、この『公平な観察者』は利害関係のない心である。

私たちは、自分の感情や行為の当事者であるとともに、それらを公平に判断する『公平な観察者』でもある。

私たちは、胸中の公平な観察者が当事者と同じ境遇にあったならば、どのように感じるのか、どのように行動するのか考えるようになる。


 

 

私たちの称賛と非難は偶然によって影響されると考える、私たちは行為の動機よりも結果に目を奪われがちであり、その行為の結果は偶然に左右されるからである。

スミスは、世間が結果に影響されて称賛や・非難の程度を変えることは、社会の利益を促進し、過失による損害を減少させるとともに、個人の自由を保障する、こうして私たちは、称賛・非難の不規則という『見えざる手』に導かれて住みやすい社会を形成するのである。

私たちは、一方では世間の称賛と非難にされされ、他方では胸中の『公平な観察者』の称賛と非難を受けるのである。

世間の評価と胸中の『公平な観察者』の評価が食い違う時に不規則性が発生する。


 

 

スミスは、基本的に胸中の『公平な観察者』の判断に従う人を『賢人』と呼び、常に世間の評価を気にする人を『弱い人』と呼んだ。

 


 

アダム・スミスは生涯において二つの書物を残していますスター

『国富論』と『道徳感情論』です『国富論』の有名な言葉は、見えざる手でしょう上差し

見えざる手とは、簡単に言うと、利己心による個人の利益追求は社会全体の経済的利益につながるとして理解されてきました。

『道徳感情論』を読むことで、スミスの人間観と社会観を知る事ができるでしょうニヤリ

『国富論』より読みやすく理解しやすいので、アダム・スミスの考えをより深く知りたいなら『道徳感情論』をおすすめしますニコニコ