ラブ♥シンガー環輝美帆の歌ごころ☆お天道さまがついている!!☆

みんな幸せになるために生まれてきた!!自分がやりたいことを精一杯やろう!!ラブ♥シンガー環輝美帆のちょっとスピな幸せのコツ♪


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$ヒーリングシンガー玉木美帆の歌ごころ☆お天道さまがついている!!☆


自由な一人の時間はひたすら歌に費やした子供の頃のわたしだったが、小学校時代はたくさんの習い事を始めたので、あまり自分の時間がなかったとも言える。
ピアノ教室の他、幼稚園から始めていた週に二回のバレエ教室、そして小学校に入って始めた英語教室、さらにはお習字と。
今の時代のように学習塾とはいかないものの、相当多忙だったはずだ。
でも、どの習い事もやりたくて進んで通っていたので、嫌な記憶はほとんどない。
行きたくないな~と思ったこともなければ、やめたい・・と、自分から言い出すことももちろんなかった。

バレエ教室は、ピアノと同じ頃、4歳になったばかりの頃から通っていた。
綺麗な色のレオタードに、美しいポーズのお姉さんたち。
そして、習い始めてすぐに参加することになった、発表会!!!
わけもわからずの初舞台だったが、とにかくその夢の様な衣装を身につけられたことは鮮烈に覚えている。
こんな素敵な衣装を着れるなんて、絶対にやめたくない!と、思ったのだ。
ちなみに初舞台の演目は「チューリップ」。
2分も無い、あっという間の時間。
この踊りはしばらくわたしの「一芸」として、親戚の結婚式の席やら、両親に連れられて参加した彼らの大学時代の部活動のOB会の席などで、何度か披露した。
当時4歳の踊るバレエもどきは、どこに行っても大好評で、ますますバレエを踊る気持ちよさに味をしめたのだった。
その後、わたしは高校時代に交通事故で足のスネに大きな怪我をおってから受験が終わるまで休んだものの、20歳まで、ずっとバレエに通い続けた。
「体全部を使って表現をする」ことをバレエを通して体験できたことは、わたしが音楽の道に進む中でも大いに助けとなったと思う。

ピアノもバレエと同じ「習い事」感覚で続けていた。
小学校も高学年になる頃には、わりと難しい曲も弾けるようにはなっていたが、今思えば基本がグチャグチャだったので、「とりあえず弾いている」というだけで、お世辞にも上手に聞こえる演奏ではなかったと思う。
この頃ついていた先生は、自分が演奏活動をしているような先生ではなかったので、「上のレベルを目指したいならば、紹介するので先生を代わった方がいい」と常々言われていた。
でも、わたしも母も慣れた環境を変えることがイヤだし、そんな本格的に勉強するつもりはこの頃はなかったので、ずっと同じ先生に習い続けることにしていたのだ。
結果的にこのことが、後々自分の首を締めることになった。
やはり、ある程度のレベルに達したいのならば、先生自身がきちんと「弾ける」人につかなければ、決して技術は身につかない。
実はピアノの先生がみな「上手な先生」かというと、本当にきちんとピアノが弾ける先生なんてほんの一握りしかいないものだ。
もしも子供にピアノを習わせたい・・と思っているならば、自身で演奏活動を積極的にされている方に託した方がいい。

わたしは中学に入ってから「これ以上のレベルを教えることは無理です。」と断られ、仕方なく他の先生を紹介してもらった。
神戸女学院の音楽科の助教授の、わりと年配の女性の先生だった。
わたしはそれまで、自分は弾ける方だ・・とすっかり勘違いしていたのだが、新しい先生には早速その幻想から目覚めさせられた。
「基本が何もできない。もう一度、チェルニーの40番と、バッハのインベンションからやり直しましょう。」
とっくの昔に一度通り過ぎた教材に、もう一度戻ることを宣告されたのだ。
そして、姿勢から指の形、音の出し方、楽譜の読み方まで、全てを矯正された。
最初の頃は、できていないものにハッキリとダメ出しをする厳しい先生が怖くて、通うことを憂鬱に感じることもあった。
でも実際、ほんとうにめちゃくちゃな弾き方をしていたので、自分でも「どうしていい音できっちり弾くことができないんだろう?」とジレンマを感じ始めていたところだったのだ。
指の矯正は、一音、一音をとにかくきちんと「鳴らす」という非常に地道な練習で、かなり根気が必要なものだった。
でも、やればやるほどに、自分の音が変わっていくことが実感でき、楽しくもなってきた。
新しい先生に変わってからも、並行して前の教室にも通っていた。
ちょうどこの頃から、幼い頃からずっと習っていた先生から、音大に入学された先生の娘さんに代替わりし、この若くて楽しい先生からも多くの刺激を受けた。
現役の音大生だけに、弾き方の指導もそれまでの先生とは違ったし、大学生活の話や、ピアノを弾くアルバイトの話など、いろいろ聞かせてくれた。
この「ピアノを弾いてお金を稼ぐことができる」という教えは、その後のわたしの1つの目標ともなった。
毎日の学校生活にほとほと嫌気がさしていたのに、せっかく音大に進学できたとしてそののちに、毎日きっちりと会社に通うような仕事に就くことに抵抗を感じていたのだ。
「子供っぽい友人」も苦手だったので、ピアノの先生になることも全く考えられない。
でも、もし自分でピアノを弾いてお金を稼ぐことができるのならば、音大に行く意味がある!と、思えた。
わたしは妙に現実主義なところがあった。
ピアニストとして活躍するような才能が無いことは、中学生にして十分に思い知ったので、才能が無いとわかっていながら音大に行く「理由」がきちんとできたことは大きな励みとなったのだ。

そして、中学生になった頃から、自分の好きなアーティストの楽譜を買ってきては、歌の伴奏を弾くようになった。
この頃大ヒットした小林明子さんの「恋に落ちて」をどうしてもピアノで弾きたかった。
でも、この頃はまだ「弾きながら歌を歌う」なんて神業だ!と思っていたので(笑)
弾き語りではなく、ピアノ伴奏だけを弾いて、頭の中で歌っていたのだ。
不思議なことに、歌のメロディーをピアノで弾こうと思ったことは一度もなく、いつも伴奏だけを弾いていた。
歌のメロディーはわたしの頭の中で、自分の歌声で鳴り響いたので必要がなかったのだ。
そして楽譜を買ってきて弾いていても、その楽譜の伴奏が簡単にアレンジされていて、元のカラオケよりも音が物足りないことに不満を感じ、だいたい自分で勝手にアレンジして弾いていた。
この頃よく聞いていたのは、レベッカ、渡邊美里さん、大江千里さん、THE ALFEE、BOOWY、TMネットワークなどと、あとマドンナやシンディ・ローパーなどの洋楽のヒット曲。
「Stay with me」が大ヒットしたエイス・ワンダーというバンドも大好きだった。
日本の音楽業界は、アイドル全盛期が終わり、実力あるアーティストが台頭してきた時代だった。
特にレベッカのNOKKOの力強い歌声に憧れ、放課後の練習タイムのほとんどはレベッカのナンバーだった。
今でもレベッカのよく歌っていた曲は、歌詞を見なくても歌えるくらいだ。
それまでの自分になかった「強い声」に憧れ、相当大きい声で練習したので、レベッカによって声帯がずいぶん鍛えられた気がする。
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