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一見、相容れない様に思える花と哲学。
大きく二つに分けて、花を装飾的に捉えるか、
表現と捉えるかによります。
デザインするものなのか、哲学を要するものなのか。

 

子供の頃に培われてきたものや、若い頃に自ら選んで

体験してきたことのなかに、その人の素養があります。

 

私の場合で言えば、20代で単身パリへ渡ったことはとても大きかった。

そして、母の教育方針があればこそだったと振り返ります。

 

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ボンジュールとメルシーでスタートした私のパリ留学生活。

授業で先生が話すことがほとんど(いや、まったく)

わからなかったし、電力会社からのファクチュールを読むのに、

辞書を引きながら1時間も費やす有様。

当時26歳でした。

 

フランスは哲学の国。

全ての根底には哲学があるということに気づいて、

私の心の隙間を埋めてくれた。

 

毎週末、美術館を歩き、一つ一つの作品には

その作者の哲学があることを知って、それを理解したいから

言葉を学んだ。

まさか20後半にもなって、語学の勉強をするとは思ってもいなかったし、

フランス語は想像以上に間口の広い大変な言語だと気づいた。

 

フラワースクールの終わった後、フランス語の夜のクラスに通いました。

語学の方の宿題をする時間がなく、お花の実習中に、先生に宿題を

お願いすることもしばしば。

ところが、その宿題の回答が間違っていたりする。

フランス人なのに、フランス語の文法問題を間違えたり、

綴りが間違っていたりする。

 

なーんだ。これでいいのだっ!と開き直り、

自分の感性で言葉をチョイスすることを覚えた。

 

 
装飾は仕事になるけれど、表現は即仕事には結びつかない事も多い。
それは、どの業界も同じ様に、マーケティングができている
ところに、ポンと商品サービスを差し出すならば
対価を得やすい。
しかし、表現とは自分の内面にあるものを
何かの手段で現して行く行為なので、どれくらい価値の
ある事なのかどうかはやってみなければわからない。
 
そこで重要なのは哲学と言葉だと思います。
自分が感じたことを自分の頭で考え、それを言語化する事。
何かモヤモヤっとした実態のないものを
噛み砕いてわかりやすくするという行為です。
 
フランス人は小学生の時から哲学を学ぶので、
思ったことをすぐに伝える能力が高く、
他人のそれを許容することも身についています。
だから表現力がずば抜けていて、アーティストが誕生しやすいのでしょう。
 
これには根気がいるので、途中で嫌になってしまうこともあります。
最近の子供に多いのが、「めんどくさい」「疲れた」
「どっちでもいい」という返答と態度。
自分の意見を述べる前に疲れてしまうらしい…。
 
「なぜ自分はこれをするのか?」「なぜ自分はこれを選んだのか?」
と、なぜなぜ攻撃で掘り下げて行くことで大切な源泉を
掘り当てることができるのに。
 
子供の頃、私の母は必ずこう言ったものです。
「人は人、自分は自分」
常に、自分の頭で考えて必要なことをしなさいという。
立派に哲学していた様です。

 

受験勉強の前に、哲学が必要ではないかと思うのです。

なぜ勉強するのか?

なぜその学校へ行きたいのか?

 

幸せは人それぞれ。