自分のスケジュールの入れ方、ちょっと下手な気がしますね(苦笑)
もうイイ歳なので、今後もっとよく考えたらスケジューリングをしていきたい(汗)
大阪たまタロ講座も満席でしたが、東京たまタロも満席!
嬉しいですね(^^)
さて、たくさんの受講生さんに
「あの連載の続き楽しみにしてます」って言われたので
ホテルでがんばって書いてみましたよ。
「あの連載の続き楽しみにしてます」って言われたので
ホテルでがんばって書いてみましたよ。
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2010年末、夫に「離婚して欲しい」と告げました。
それは「第一次夫婦関係革命」とも言えるものでした。
ケンカして頭に血がのぼった状態で
「もう離婚や!」となることはいままで何度もあったのですが、
冷静に静かな声で離婚を切り出したのは初めて。
「もう離婚や!」となることはいままで何度もあったのですが、
冷静に静かな声で離婚を切り出したのは初めて。
それだけに私の本気さが夫にも伝わったようでした。
当時、表面的にはとても穏やかで仲良し。
可愛い子供達が3人もいて、一番下は当時まだやっと3歳。
そんな状態で離婚を切り出すのは、私にとっても苦渋の選択でした。
私には経済力はありますが(なんせ大黒柱ですから)、
幼児を含む3人の子供達を連れて家を出たら
その後の生活がどれほど大変か。
幼児を含む3人の子供達を連れて家を出たら
その後の生活がどれほど大変か。
シングルマザーで三歳児を抱えていたら、
仕事の量を減らさざるを得ない。
今までのようには仕事できなくなる。
仕事の量を減らさざるを得ない。
今までのようには仕事できなくなる。
出張とか、いったいどうする?
当時も今と同じように
東京や大阪など、あちこちに出張に行ってました。
東京や大阪など、あちこちに出張に行ってました。
(この文章も東京での「たまタロ」講座の合間にホテルで書いてます^^)
家賃など、支出は増えるのに。
夫に対しても罪悪感を感じずにいられません。
DVだのだめんずだのってわけじゃなかったので。
とても良い夫です。
私に共感的じゃない、っていうだけで。
やっと和やかで穏やかな関係性になれて、
私のことも全力でサポートしてくれている夫。
私のことも全力でサポートしてくれている夫。
私の仕事の手伝いと、家事育児に徹してくれているからこそ、
無職で収入がないわけです、夫は。
無職で収入がないわけです、夫は。
額に汗して働くのが大好きで得意な勤勉な人。
真面目で誠実で。
真面目で誠実で。
でも、いくら真面目で誠実で勤勉でも、
50代からの就職は難しいはず。
50代からの就職は難しいはず。
そんな状況のダンナを一人ぼっちで放り出そうとしているのだ、
と考えると罪悪感で苦しくなりました(><)
と考えると罪悪感で苦しくなりました(><)
それだけの懸念事項、マイナスの条件があったのにもかかわらず、
なぜ私が離婚を切り出したか。
なぜ私が離婚を切り出したか。
誤解のないよう、確認しておきたいのですが、
決して夫と別れて一緒になりたい相手がいたわけでもないのですよ?
決して夫と別れて一緒になりたい相手がいたわけでもないのですよ?
私も恥ずかしながら恋多き人生を送ってきましたが(汗)、
この当時は本当に、好きな人もいませんでした。
この当時は本当に、好きな人もいませんでした。
(気になる人レベルはいましたけどね!
私、人生で気になる人がいない時期なんてゼロなんじゃないかな。)
私、人生で気になる人がいない時期なんてゼロなんじゃないかな。)
では、私はなにをそんなに思いつめたのか。
(ごめんなさい、まだ続きます)
★参考記事
【夫婦関係激震つづきもの日記】
①夫婦関係に激震が
http://
②人生終わったと思いました。
http://
③もう誰かに助けてもらおう、支えてもらおうとは思わない。
http://
④夫に「離婚してほしい」と伝えました。
http://
⑤決して夫と別れて一緒になりたい人がいたわけではないのですよ?
http://
⑥突然の私の離婚したい宣言に夫は
http://
⑦オレが間違っていた。
http://
完結編 結局「激震」とはなんだったのか
http://
【番外編】
夫婦関係って本当に人生の根幹をなすものですよね。できればラブラブで生きていきたい!
http://
◎こちらに私の「夫婦関係もの」ブログ記事をまとめてあります。
テーマ「夫婦関係」
http://
こちらも読まれると周辺事情がよりわかってより面白いかもしれません。
・「占い師への道」
http://
占い師とコーチの勉強を始めた当時の記録をまとめたブログ記事
・「夫との出会い」
http://
夫との出会いの経緯をつづったブログ記事