たまさかですニコニコ




春は変化の時。



3月にはこれからのことが決まりそうと過去記事に書いていました。



そして先日「なんとかなるさ」と言う記事で、引っ越しをやめたことなど書きました。


引っ越さないことを決めたんです。




すると、次々に変化が起き出しました。




母と暮らし始めて一年半が過ぎました。


最初は母の病院受診が目的でしたが、原因も分からないまま目の異常が出てひとりで歩けなくなりました。


それからは手を繋いで歩くようになり、私の腕にしっかり掴まらないと歩けなくなり、あちこち受診してまわりました。


福岡へ来て2ヶ月になろうかと言う時、やっと病名が分かり入院治療。


それからも二転三転あり、他の病も見つかりそれも治療。


おかげさまで、今ではすっかり元気になりました。





子供の頃から大の苦手の母。


こんな形で母と暮らすことになるなんて思いもしませんでした。


一年半向き合ってきて、


「あぁこれも私にとって必要な時間だだだなぁ」  


と感じています。




幼い頃どうしてあんな風にあたられたのか?



どうして大人になっても


「しょしゃな子(つまらない子・ダメな子」


と言われ続けなければならなかったのか?




母と暮らしてみたら何てことはない。


「じゃあ、誰にあたればよかったんね。」


「自分のことで精一杯やったもん。」


「自分のことしか考えきらんもん。」


と言ってます。



あまりにも奔放で勝手気ままな言動に、兄も呆れ気味で母に会いに来る回数も激減しました(笑)。





なーんだ。


もっと早く知りたかったよ。


お母さんのこと。


幼い頃から、怒られないように、刺激しないようにと必死で接してきたけど…。




私も私だなぁ爆笑爆笑爆笑


そんなお母さんに気付きもせずに、


なんでこんなに罵倒されるんだろう。


私ってそんなにダメな人間なんだ。


と、数年前まで、50半ばになるまで思っていたのだから。



一緒に暮らしてみると、はっきりと自分の気持ちを口にする母なので、こんなにも分かりやすいじゃない。


あははは爆笑爆笑爆笑


あの恐怖も惨めさも、そんなに深い意味はなかったのかぁ爆笑


母の気分だったのね。



こんなことを思うと母との暮らしは、私のトラウマ解消に一番の効果があったなぁとしみじみ思います。



自分に起こることって、全て自分のための出来事なんだなってね。



母は変わらないし、変わらなくていいんです。



一緒に暮らしても、みんなそれぞれ。


究極の根っこの部分は繋がっているけれど、家族なんて運命共同体みたいだけど、それぞれの人生。


その人自身のものでしかない。



母は母の人生を生ききる。


私は私の人生を私らしく私として生ききる。



それでいいんだなぁ。




これからこうするぞ‼︎


って決めたら、私の中も外もいろんなことが動き出しました。




決めたこともきっと何転も転がって転がっていきそう。


あぁ、ちょっとゆっくりしていたけど、また私のドタバタす〜いすいな毎日が動き出すんだなあ。



楽しいなぁ。


わっくわくだなぁ。


るんるん🎶だなぁ。



今日の私はこんな気分ですニコニコニコニコニコニコ




魂栄