私とよくオンラインチャットをしているMさんは、アメリカ在住の日本人。
そのご主人はアメリカの方なため、私と彼女は、
「なぜ外国人にはVIVANTが全く受けないのか。
なぜうちらの旦那はVIVANTを見て笑うのか問題」や、
「このドラマは日本語字幕がついていました。
早速ご主人と一緒に見たらどうでしょうか」
など、ドラマに関しては「仕事ですか」というぐらいに
熱くなって語り合っています。
普段の生活でも、家族の会話が英語になると、
自分一人ぽつんと置いていかれるというところも同じで、
外国人の配偶者を持つ苦労や悲哀も、二人共通のものです。
うちは今、夫婦二人暮らしになりましたので、
実質 早く通じた方が面倒臭くないので、普通は英語で喋っています。
もう通じればいいので、全てにぞんざい。
疲れていると、お互い聞いているような顔をしていて聞いていませんから、
「聞いてる?」
「Are you listening to me? 」
は、1日に何回も、お互いに向けて飛び出す言葉です。
私の仕事の相手は全員英語ネイティブ、
暗くなると帰ってくる夫も英語ネイティブ、そして、自分はそうではない。
これ本当言って、本当に疲れます。
疲れてくると、脳のろれつが回らないというか、言いたいことがすっと出てきません。
どうしてもこちらの負けがこんでくる、ということも避けられません。
「Mさん聞いて、旦那にこんなことを言われました」
「それはカチンとくるわね」
「でしょう? 今すぐ飛行機で来て、ぶん殴ってもらっていいですか?」
「すぐ行きます」
わかっていただけて嬉しいです。
それにしてもなぜ日本のドラマは、本当は日本語が流暢じゃない人に、
脚本通りの自然な日本語を暗記させて、「日本語が上手な人の役を」やらせるのか。
あの日本語の発音の悪さ、あの高低ピッチのめちゃくちゃさ。
文章、切るところで切らないのは、意味を理解していないのが明らか。
見なけりゃいいのに、見てはもやもやしています。
カジュアルな日本語を喋るのは簡単だと思っていらっしゃる方は多いと思います。
ところがどっこい、日本語ビギナーならビギナーなほど、
「ですます調」でしか話せません。
なぜなら、レッスンではまず、「ですます調」から学び始めるからです。
食べます・食べません
食べました・食べませんでした
食べましょう・たべませんか?
食べたいです・食べたくないです・食べたかったです・食べたくなかったです
どうですか、これを、一つ一つ、言葉を増やしながら学んでいきます。
そして、ここまで勉強がすすんでも、まだまだ言葉遣いが、
「ます」の発展形でしかないことにどうか、どうか お気づきください。
学習者にとって大変なのは、これと並行して、
語尾変化がそれぞれ違う、「い形容詞」「な形容詞」を学んでいます。
よく皆さんおっしゃいます。
カジュアルな日本語は、簡単でしょ?
友達から習えばいいじゃない?
この人(自分の配偶者などの非日本人)の日本語、
真面目すぎて不自然じゃないですか。
もっと自然な言葉を教えてやってくださいよ。
はあああああああっ?! 💢
あ〜いやいや・・・すみません。
食べる?
食べない?
食べたの?
食べてないの?
え、
こんなの普通に簡単に喋れるでしょうって?
日本にいて、自然な日本語に囲まれているのだから。
教科書みたいに喋る人なんて、いないじゃないですか
・・・・・・・・ですとな? 💢
全然違います。
食べる、と言いたければ、「辞書形」をマスターしなければなりません。
食べないよ、と言いたければ、こんどは「ない形」です。
いちいちに、作り方のルールがあります。
いの動詞 い→う だから、 会います→会う
えの動詞 え→える だから、 食べます→食べる
例外 は、
見ます・見る、借ります・借りる、します・する、来ます・来る、着ます・着る
まだまだありますよ。
食べたよ、食べてよ、食べてもいい? 食べてはだめだよ
食べてる? 食べてないよ・・
「え〜しょっちゅう聞くんだから、簡単でしょう」って?
でもね、上記のこれを言いたかったら、まず「ての形」をマスターしなければ。
その「ての形」には、いつものように、
動詞の種類によって、作り方がいくつもあります。
いちり→って
言います→言って
立ちます→立って
帰ります→帰って
びみ→んで
呼びます→呼んで
読みます→読んで
住みます→住んで
し→して
します→して
話します→話して
き→いて
歩きます→歩いて
書きます→書いて
例外
見ます→見て
浴びます→浴びて
借ります→借りて
私たちがコンマ1秒も考えないで全て「言える」のは、
赤ん坊から話してきた母語だから。
学習者にとり、日本語は単なる音の羅列、
どんなに迂遠であろうとも、
ルールに則って一つ一つ変化させなければ、
めっちゃくちゃになってしまい、話すことなんてできません。
上記の他に、可能形、ば形など、
私たちが日常的に全く心配する必要のないルールを、
延々提出され、マスターしないと、喋れるようにならないのです、彼らは。
以上も、思いつくままに書いたのみで、
じつはまだまだ、あります。
助詞一つの違いで意味が全く違ってしまうとか。
助詞一つについて、3つも4つも5つも機能があるとか。
書いていて私が発狂しそうです。
「でも先生、アニメ見ればすぐ喋れるようになるんじゃない?」
「コミックで学べばいいじゃない?」
などと、酷な事を言うのは、本当にやめてあげてください。
なんでしたっけ🤔・・・・脱線してしまった、あ、そうだそうだ、
「ものすごく真面目に何年も学び、実際に使うという経験を積まなければ、
喋れるはずのないレベルの日本語」を、
あきらかに、ローマ字に起こしてもらって暗記して喋らされている、
「日本のドラマに出てくる日本語が流暢設定の外国人」
をドラマで見て、そのあり得なさに悶絶している私、本当にご苦労様です。
職業病というしかないでしょう。
そこら辺をわかってくれていてい、
ええ〜いもう、うるさい!
と、思ってはいるであろうが、言わないでくれてるMさんに、
思いついたら即、お話をさせてもらっています。
あと、こう言うことも気になります。
アメリカ帰りだという設定の日本人が、
日本語でしゃべっているのに、英語が混じると、「その一語だけ」、
なぜ、ちゃんと、いい発音の英語で言うのでしょうか。
英語を喋っている時の「喋り筋肉」と、日本語のときのそれは、違います。
ですから、「地の文」が日本語なのに、そこだけ英語にするのは辛いのです。
口の中が、「あ、よっこらしょ」みたいになるはずです。
実際、バイリンガルであるところのうちの娘らや、
そこまでバイリンではないが、会社ではほぼ日本語で過ごしている夫も、
日本語で喋っている時に、
「突然英語の言葉のみ、英語の発音にする」
ことはありません。
在日生活36年になる夫は、
喋ること全体が日本語英語になっていることも多いです。
ドゥユノウフエアマイメガネズアー?
(僕のメガネ知りませんか?)
という具合です。
それに、夫婦ともに
ドント無理する、ね?
(無理しないでね)
などと言います。
英語で動詞の原形となる文を言おうとして、
つい日本語を使ってしまうと、その部分が やはり動詞の原形になるわけです。
気がついてないが、このような変なことを、きっとたくさん言っていると思います。
私も夫も、お互いの言語について、これ以上の伸びはほぼ期待できないためか、
もっとうまくなろうというフレッシュな気持ちが、
ものすごく低下しているであろうことは、間違いありません。
でも、いいのです。
あい・どんと・無理する。
このまま先へ進みます。
だめ?