前回は、自分にとって懐かしい昔について書かせていただきました。

ものすごく不安定な雇用で、非効率的な働き方をして、
でもやる気満々で、張り切っていた頃のことです。

結婚・出産・子育てで、保育園・幼稚園・小学校・部活・児童館・・といろんなグループと関わりながら仕事は続けましたが、やはり子供の安全や安定が優先順位一番で、子供のことでやきもきして、目の回る十数年が続きました。

子供が赤ん坊の頃、主夫をしている夫に託してきた冷凍母乳が足りなくなり、ギャン泣きをしている長女を都心まで連れてきてもらい、東京タワーの下で授乳したことや、

フルタイムではないために公立の保育園を利用できず、
二つの別々の私立の保育園を、抱っこ紐とベビーカーで駆け回ったり。

生徒も一人や二人で、新しい教科書を使うチャンスもなかなかなく、
どんどん自分が時代遅れになっていくのを、ひしひしと感じていました。


子供の送迎に必要になって、死ぬ思いをして子連れで教習所に通ったけれど、
乗らないでよくなったらたちまちゴールド免許のペーパードライバーになりました。

収入よりも保育料の方がずっと高くつくという中で、
なぜあんなにも仕事を続けることに懸命だったのか。

どうしても、人と話す仕事が好きなのだと思います。
続けてきて飽きたことや、やめたくなったことはなくて
それはとても恵まれたことであると、周囲に感謝しています。


現在の仕事の環境はどうかというと・・

とにかく、全然動きません。
11年前からずっと、ほとんどオンラインレッスンです。
コロナ禍の時代が始まっても、仕事のやり方は変わりません。
変わったのは、同じように仕事をしている人と交流ができたり、
ずっと使ってきたGoogle Docsの他にも、
いろいろ便利なツールをみなさんに教えてもらったりして、
少しずつですが、使えるものが増えたことです。
とても助かります。


数時間座りっぱなしになるデスクの脇、手の届くところに教材があります。

この本が簡単すぎる?
では、これにする?

と、現物をすぐ手に取って、生徒と相談もできます。

重いバッグをぶら下げて寒風の中、炎暑の中を歩き回っていた時代が嘘のようです。

今はレッスン中に、生徒から連絡が入っても、タブレットの上の方に、
すーっと、メールが来ました、スカイプチャットが来ました、
テレグラムが来ました・・と、黙って出てきて教えてくれます。

隙間時間にすぐ読んで、返信するのも容易たやすいです。

リアルに歩き回っている間は、授業の前後は移動のために1時間は取ってありますので、一つレッスンがドタキャンになると2時間から3時間は空きます。
なので、キャンセルの連絡をもらうと、がっくりくることが多かったのですが、
今はずっと家ですから、そういうことはありません。




昨日、「もう、昔には戻れない」みたいなことを書いて終わりにしましたが、
その理由はやはり、無駄時間が生じないこと、急に時間ができても時間潰しに苦労しないし、逆に急に臨時のレッスンが入っても対応できることです。


場所の移動がないことは、このぐらいにありがたいことなのでした。

コロナの時代が終わり、学習者が自由に動けるようになると、
日本語学校での日本語教師の需要も増えるでしょう。
政府公認の日本語教師の制度も始まると聞きます。

でも私はほほぼ確実に、オンラインの日本語レッスンを続けるだろうと
今では考えているのです。

日本語レッスン今昔物語、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。