トマール・・・世界遺産 ポルトガル最大のキリスト修道院


世界一高い水道橋の真下を高速道路が・・・

 

ポルト・・・・サンフランシスコ教会
  ポートワイン工場見学・・・・サンデマンのポートワイン 。。。買いまくり。。。特にワインチョコ最高・・・・もっと買っておけば良かった(ユーロ残と、飛行機の重さ23k内。。。行きは33kあは馬鹿ですね)・・・格闘で、「少々」に留めた阿保チンですの。


  ドン・ルイス一世橋


サン・ベント駅のアズレージョ


北スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道
 

歓喜の丘

カテドラル
 

巡礼の終着点オブラドイロ広場


ポルトガル最古の大学 
ヨーロッパ屈指の伝統を持つ コインブラ大学とカテドラル 悲恋物語の二人が眠るアルコバサ修道院

魚師町 ナザレの海岸線

 


雷雨でおめざ

ナザレの早朝の渚散歩は危険なので、中止。

カルダス・ダ・ライーニヤの朝市を雨の中、根性で見学

 


谷間の真珠と呼ばれる
城壁に囲まれた白い小さな町 オドビスの城壁散歩・・・・晴れました!


この城壁を
歩け
歩け
しました!・・・雨あがりで、すべります、石畳み。
しかも、あちら側は絶壁です。


 
 
 


ヨーロッパ大陸の最西端 ロカ岬

案の定、大騒ぎ

リスボン市内観光
ジェロニモス修道院・・・・圧巻

 

 


ベレンの塔

発見のモニュメント
 

有名なエッグタルトが美味しかった
 


pm1:30~自由行動

バイロンのがエデンの園との歌い文句の「シントラ」
ムーア人の城壁を見渡せるに魅かれ。

 

ここを見て、その後、三々五々 それぞれの「お一人行動」
pm7時の4つ星ホテルの「ジィナー」会場集合が、お約束。
二連泊なので、別に夕食をスルーすれば、自由時間限りなく延ばせますが、そこは
鉄壁の女史の「安全対策」の意志難し。
いかんせん、美術館閉館時間がpm6時・・・・かまへんかまへん、徒競走ぞ。

まず17ユーロ+0.5ユーロで、1日乗車券を購入(これを買うまでが長打の列)
午前の市内観光であたりを付けていた「グルベンキアン美術館」を目印に
いざ、12ユーロで乗り継ぎながら、「シントラ」へ

てへ・・・・op12000円の「シントラ見学」コースをお選びになった、団体さん8名と入口で遭遇。

なんじゃい・・・・2000円vs12000円の違いは「入場料」だけじゃんか+少しの勇気
説明は、ご一緒に(ラッキー)
 

王宮はアズレージョに満ち、かっての支配者ジョアン1世が愛した調度品で飾られている。
マヌエル様式のこてこての中、白鳥の間、かささぎの間と天井画に見入る。
侍女との不倫を王妃に潔白を示すため、カササギで埋め尽くされた天井

 

英国へ嫁がせた愛娘カタリーナ27歳の結婚生活の幸せを祈って27羽の白鳥を描かせた、親心。
 

  

 
 

1584年8月には、天正遣欧少年使節がこの部屋で、当時ポルトガルを統治していたアルベルト・アウストリア枢機卿に謁見する。ただしこの時期まだ天井の白鳥は描かれていなかったそう。

少年達の光るまなざしが、白鳥の瞳に宿るようです。


「ピリキータ」で名物のイジャーダ(チーズタルト)で小腹を見たし

 
コルクが名産

 

瓶収集のおばんと、コルク土産に夢中の義妹と、再会を約し、

 


 

 
 

いざ、いざ、「リスボン:トラム18番Cois do Rocho」から、2分の徒歩のところ
迷って20分後・・・・・・おおおおおおお

その名もMNAA・・・・これで通じるじゃんか

もう既に、4時経過・・・・・一つぞ
南蛮屏風以外、


全部 捨てる。


『聖アントニオの誘惑』が誘惑する

負けるもんか

2階に ひっそりと 堂々と 『金色と黒』の中、あなた方は居た。

ああ、居てくれた。

北スペインの『歓喜の丘』が辛い浄めの巡礼の終着点なら

ここが、私のポルトガルの終着点だ。

『ここに地終わり海はじまり』地から
日本の地に初めて足をつけた、欧州の民
(漂着とは別に、難破を装い、種子島に上陸したという説もある)

彼らの布教の意志と そのもたらす、火薬、鉄砲、医療技術、西洋文化etc
信長を魅了した、『多彩な文化』は、やがては「日本人特有の練り上げられた文化と飽くなき好奇心」によって、1639年鎖国令が江戸幕府によって出されるまで、限りない憧れと富貴の現れとなる。

桃山、江戸時代・・・ポルトガル人自らの希望で、多くの南蛮屏風が海を渡ったという。

狩野内膳  「南蛮屏風」六曲一双(右一双)

  
 
 ちなみに、狩野内膳は、織田信長に註反して滅ぼされた村重の息子です。

 
右:狩野道味 「南蛮屏風」・・・・・・撮影禁止なので、パンプ転用

 

残念なことに、「狩野内膳」作は、???だそうです。


真贋はともかく、
あの時期の信長、秀吉、家康が見たであろう南蛮人が、絵の中にいるのです。

貢物
交易物を大切そうに携える南蛮人
丁重に迎える 武士、
駱駝、鹿、牛、華麗な馬達の衣装、鶏
そして
南蛮寺に向かう、庶民。

今にも動き出しそうな臨場感の中

遠かったなと思う

ジョアン1世の三男エンリケ(英語読みではヘンリー)航海王子の
熱情が、ポルトガルの大航海時代の幕開けとなり、欧州最西端の小さな国は、マゼランを
バスコダガマをフランシスコザビエルをルイスフロイスを世界の希望峰へと船出させる。
金より
高価な香辛料を求めて。

そして、極東の島国の「戦国大名」とまみえる。

シントラで
城内の展示品に、屏風があった。
南蛮屏風と思ったら、ガイドさんがすかさず、中国ですと。
そうですね
紫檀黒檀に山水と花鳥風月、当時のヨーロッパには、貴重品でしょうな、
景徳鎮の大壺も展示されてました。
宣教師や商人が遥々、嵩張る屏風を日本から運んだ理由と根本的に、
意味が違うのです。
貢物、友好、外交辞令とは一戦をかくす。



それは人の心の機微の問題

自分達の活動が、極東の小さな島国に、どれほど歓迎されたか
狩野派の名人の手を疑問視されながらも、400年前の南蛮人ポルトガル人は、
画中で、絵師の想像を受けて 底抜けに、明るいのです

なんでも真似する
自分では種を生み出せないと、日本は、某国から 酷評されるけれど
柔軟に、淑やかに、自分達に合ったものに文化を変化させそこから、
更に進んだものを編み出す。

進化とは、そのことではないか

その日本人の気性を愛し、画かれた自分達の姿に誇りを持って、
屏風は
地果つる海始まる国へと渡り

リスボンに在る

その存在感よ

あなた方は見て来たのね。
信長の飽くなき好奇心と探求心
秀吉の野望と老残
家康の掴み所のなさ
その夥しい家臣や敵将の末路を。

明るく賑やかに、市が立つ

南蛮寺に、人々が集う

布教も交易も順風満帆


金と黒の背景の中

400年後も、人々は賑やかに、今日を寿ぶ。

日本の神戸市民博物館にあるという
狩野内膳の『南蛮屏風』とは、来歴を異にしても

私が見たかった 思い が 時間を超えて ここにあった。


6時閉館・・・はあはああはああああああ