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「褒めて伸ばす」という子育てには

問題点がある。

スクールカウンセラーの藪下遊さんは

子どもが成長するためには、適度な

不快が必要。『褒めて伸ばす』説が

行き過ぎて『やりたくないことはしない』

と考える子どもが増えているのではないか」

という――。

※藪下遊、髙坂康雅

『「叱らない」が子どもを苦しめる』

(ちくまプリマ―新書)一部を再編集。

 

・「なかなか変わらない」ことには

意味、理由がある。

学校は「惰性が強いシステム」です。

入力から出力まで時間がかかるという

ことであり、教育に対して何かしらの

働きかけをしても

「なかなか変わらない」ということに

なります。

この点は不登校への対応や、学校で

起こるさまざまな問題への対処の遅さ

として批判されがちです。

一斉教育は問題があるのに改善されない、

多様性を認める形になっていないとか。

ですが、学校が「惰性が強いシステム」

になっているのには、ちゃんと理由が

あります。

社会状況がどれだけ変わっても世の中が

どんなに混乱したとしても、

学校は

「そう簡単に変わるわけにはいかない」

のです。

社会状況や世の中の雰囲気で学校がすぐに

対応して変わってしまえば、次世代を担う

子どもたちに「安定した教育」を提供する

ことができなくなります。

 

ただ、そんな「惰性の強いシステム」を

備えた学校でさえ、ここ数十年の間で

少しずつ変わってきています。

 

子どもの「特徴・特性」には踏み込まなく

なった

50年前の通知表はかなり子どもの問題点を

指摘する形で記述されていました。

最近ではそういった内容を書くことは全く

ありません。

他にも色んなことが変わりました。

成績が貼り出されることはなくなったし、

食べられない給食を前にずっと残されると

いうこともなくなりました。

 

私はかつて肥満体型でしたが、通っていた

小学校は男女問わず肥満体型の子どもだけ

給食時間に集められて指導をしていました。

このように子どもの「特徴・特性」に対し、

余り学校が踏み込んでくることがなくなり、

証拠が無いことについて追及せず子どもが

不快に感じるような関わりかたを、学校は

相対的にしなくなりました。

 

「子どもを不快にさせる」が忌避されている

本当に「子どもを不快にさせる」という事が

問題なのでしょうか?

「子どもの不快」は、子どもの反応の

仕方の一つに過ぎません。

 

見分ける必要のある不快は「要らない不快」

体験することに何の意味もない不快で、

例えば、

「いじめられる」、

「人格を軽んじられる」、

「暴力を受ける」、

などです。

こういう本当に不要な不快ものには、

自分に降りかからないようにすること

が大事で、そういう状況を避けたり

逃げたりすることが大切です。

 

もう一つは「成長のための不快」です。

それを経ることで成長に繋がるもの。

間違っている事や悪い事を指摘される、

自分の限界に気づかされる、他者との

意見の違いを経験するなどです。

こういう不快については、受けとめ、

自分の中で消化していくことが将来の

自分のためにとても重要になります。

 

事例1:

【修学旅行中に担任に電話する母親】

不登校気味の高校二年生女子の母親。

修学旅行中に担任に対して「娘が面白くない

とメールしてきた。何とかしてください」と

連絡してくる。

修学旅行中は人間関係の交錯が起きやすい

(自由時間に誰と回るか、バスで誰が隣か、

班の一人が戻ってこない……など)ので

楽しいばかりではないのが普通です。

こうした人間関係の交錯が起こることにより

子どもたちが成長する機会となるのも事実です。

この事例の母親は子どもが不快であることを

とことん排除しようとして、かなり非常識な

行動を取っています。

母親が「子どもの不快に過敏に反応する」から

子どもも母親に「面白くない」と連絡したのだ

と思いますしこれまでも、不快の主張によって

母親を操作して、環境を変えてきた可能性

考えねばなりません。

 

「褒めて伸ばす」が勘違いされている

子どもが不快だからといって、あらゆる状況を

排除・操作してしまえば、成長に欠かせない

出来事をも「要らない不快」としてしまい、

せっかくの成長の機会が失われてしまいます。

 

カウンセリングで多くの家庭を見る中で

「褒めて伸ばしている」つもりが、

「子どもの問題を指摘しない」という形に

変質してしまっていることがあります。

 

子ども時代というのは「できること=可能」

を開拓・拡大していく時期です。

何ができるのか、できる範囲はどの程度か、

そういうことを知る時期なんです。

だからこそ、学校を始めとした社会の中で、

子どもに「まだ知らないこと」を教えるし、

「できないこと」を頑張ってやってもらおう

とするわけです。

そういう活動を通して、子どもの「可能」を

開拓・拡大するというのが学校の機能の一つ

なんです。

この時期に「やりたいこと=願望」を中核に

してしまうと可能の範囲を知らずに「できる」

と勘違いしたり、未知のものを「やりたくない」

と子どもの快不快だけを基準にして排除して

しまう恐れがあるのです。

 

 

成長に必要な「不快に耐える力」を持つことで

子どもたちが「昨日の自分」よりも成熟する、

「どんな自分でも、これが自分だ」と思える、

知らないことやできないことに取り組むことで

「可能性の範囲」を増やすことなどはすべて、

子どもが社会的に成熟する上で欠かせないこと

のはずです。

 

 

 

 

 

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