辻 仁成さんのブログ

 

メーデーの日、パリはとっても穏やかであった。
父ちゃんと三四郎は一日中、人のあまりいない、

パリを散策した。
好奇心溢れる三四郎は、犬らしからぬ洞察力があり、

気になることがあると、立ち(座り)止まって

じっと見はじめ、納得するまで動かなくなる。
まず、今日は街のはずれで動かなくなった。


滞仏日記「ついに、辻家に、三四郎がやってきた。やあやあやあ ...

 

三四郎の視線の先を見ると、いつもの浮浪者さんが

ベンチに座っていた。

ジョンティ(優しい)・ジョルジュとみんなに

親しまれているホームレスのおじさんだ。

 

パリは、そこら中いたるところにホームレスの

人たちがいる。

店先や、住宅の玄関先や、歩道や、いたる所に、だ。

しかし、彼らは排除されない。
それどころか、多くのホームレスの人たちは施しを

受けて生き抜いている。
ジョンティ・ジョルジュもその一人である。
三四郎は、ジョルジュを見かけると必ず止まり、

長い間じっと見つめる。

 

いつだったか、ちょっと前のことだけど、

優しくされたことがあったのだ。
ジョンティ・ジョルジュがしゃがんで、笑顔を

三四郎に向けた。

それから、三四郎はジョルジュを見つけると

「あの人だ」と気が付いて動かなくなる。
ジョンティ・ジョルジュは、絵に描いたような

優しい笑顔をするので、我が街ではみんなに

好かれている。


そういえば、驚いた光景を見たことがあった。
ぼくが行きつけのスーパーで買い物をし、

会計をするためにレジに並んでいた時のこと。
ジョンティ・ジョルジュが不意に入ってきた。
何年も洗ってない髪の毛はめっちゃ長いドレッドヘアー

みたいになっているし、顔は薄汚れているし、服はぼろぼろ、

なのに重ね着しているからだぼだぼで、一目でホームレス

と分かるのだ。
わ、凄い人が入ってきたなぁ、と最初は驚いた。

ぼくがジョルジュを認識した最初の瞬間でもあった。
すると、レジにいた店員(ルーマニア人)のロニが、
「ジョンティ・ジョルジュ、今日は何が食べたいの?」
と訊いたのである。ちょっと耳を疑った。
すると、ジョルジュが微笑みながら、

「そうだね、今日は、ピザがいいかな」

と言ったのだ。

へ? 買うのかな?
すると、ロニはぼくに、ちょっと待っててね、

と言い残し冷凍品売り場まで走ると、マルゲリータの

ピザをひと箱持って戻ってきて、それをジョルジュに

手渡したのである。
しかも、だ。
「バナナとかはいらないの?」
と聞いたのである。へ?

「バナナは今日はいらないかな」
とジョルジュは柔らかい声音で、言い返した。

今日は? どういうこと?
「じゃあ、ポテトチップスは?」

「え? ああ・・・」
ジョルジュはぼくの後ろにあるチップスの棚をしばらく

眺めてから、
「うん、いいね。貰おうかな。ありがとう」
と言った。
すると、ロニがそれを一つ掴んで、ジョルジュに

手渡したのである。
ジョンティ・ジョルジュは笑顔で出ていった。
ぼくはきつねにつままれたようだった。

お金も払わず、しかも店員が率先して渡している。


普段なら、なんでお金をとらないの、と聞くところ

だけど、ぼくはやめた。
ぼくはロニの顔を見たけれど、彼はそのことに関しては

何も口にはしなかった。
その後も、何回か、ジョルジュがピザとかパンとか、

ときにはビールを持ってその店から出てくるのを目撃

したことがある。
「やあ、ジョンティ・ジョルジュ」
とガーディアン(管理人)のブリュノが通りの反対から

声をかけていた。
ジョルジュは小さな声で、いい天気だね、と返した。

 

ジョンティ・ジョルジュがどこで暮らしているのか、

分からない。
ホームレスの人たちには一応縄張り、定住地があって、

テントを家みたいにして暮らしている人もいれば、

マットレスで寝ている人もいるし、地下鉄の換気口の

ところが暖かいので冬になるとそこで数人が屯していたり、

それぞれに、お気に入りの場所があるのが普通だけれど、

ジョルジュはいつも、あちこちの歩道に座って、

空を見上げている。
他のホームレスの人はほどこしの小銭を受ける皿などを

自分の前に置いているがジョルジュだけは何も置いてないし、

いつも少しずつ場所を移動して、ごろごろしている。


夜、彼がどこで寝ているのか、ちょっと気になった。
すくなくとも、ぼくのいきつけのスーパーは彼を受け入れ、

彼に食料を提供している。
彼がどういう人生を生きてきたのかぼくにはわからない、

だけど、生後7ヶ月の三四郎にはわかるようで、

彼はジョルジュのことが気になっている。
「さ、行くよ」
ぼくがリードを引っ張ると、やっと三四郎も歩きだした。

 

5月1日は「すずらんの日」、ここフランスでは、

大切な人にすずらんをおくる。

 

5月1日、スズランの日。 - OVNI| オヴニー・パリの新聞

 

次の街角で赤十字の人たちが「すずらん」を売っていた。

三四郎が再びそこで動かなくなったので赤十字の女の人と

目が合って、
「どうします?」
と聞かれた。
「え、ああ、じゃあ、一つ買おうかな」
「いいんですか?」
「これは寄付になるんでしょ?」
「ええ、そうですよ。5ユーロのと2ユーロのがあります」
「じゃあ、5ユーロのを一つ」
ぼくはすずらんを買った。

 

遥か遠くにジョルジュが見えた。

ぼくの足元には三四郎がいた。
「メルシー。良い一日を」
「メルシー、ムッシュ、あなたも」
ぼくらは再び歩き出すのだった。

 

 

フランス人はホームレスもまた一つの人生、

と受け止めているような感じだ。

自分の領域への相互不可侵を決めているから、

自分以外の人の生活はその人の人生だから、

とやかく言う必要も権利も無い、か。

そして深くは関わらないが、困っている人には

自分で出来る範囲の助けはする。

 

辻氏のご近所だった子供たちの親も離婚して、

子供は定期的に決まった期間、両親の家を

行ったり来たりしている。

両親はお互いに今の自分の新しい家族を中心

にして生活しているから、結果はじき出された

形の子供は、まだ10歳ほどのお姉ちゃんが

弟の親代わりとなって、面倒を見ている。

たとえどんなに時間と金銭的に余裕があろうと

代わりにおじいちゃんおばあちゃんが面倒を見る、

ということにはならないところが個人主義である

フランス人のフランス人たる所以なのだろう。

幼い弟も「それはパパの人生だからぼくには

関係ない」と割り切っているそうだ。

だからムッシュ・ツジーがお姉ちゃんに料理を

教えたり、時々二人にご飯を食べさせている。

 

超個人主義は案外わたしにむいているかも

知れないと、今の年齢だから言えるが、もし

わたしが子どもだったらどうだろう。

何とか自分の気持ちに折り合いをつけながら、

はた目には不幸に見えないように一生懸命に

自立へと努力するだろうか。

 

 

個人主義の懐の深さは、やっかいなフランス人

気質のほんの一面なのかしら。

 

 

 

 


 

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