サインペンきゅっと鳴らして母さんが私のなまえ書き込む四月

 

   味噌汁の湯気やわらかくどの朝も母はわれより先に起きていて

 

   泣いたってよかったはずだ母はただ人参を切るごぼうを洗う

 

   帰る家失くして歩く通学路 絵の具セットはカタカタ揺れて

 

 

   助けられぼんやりと見る灯台はひとりで冬の夜に立ちおり

 

   植物はみな無口なり 自死できず眠ったままの専門病棟

 

   錆びているブーツの金具 入水した深夜の海を忘れずにいて

 

   

   朝の道「おはよ!元気?」と尋ねられもう嘘ついた 四月一日

 

   水槽の魚のように粉雪を見ている 家に帰れぬ友と

 

   嵐の夜 裸足で駆け出し見に行った 墨汁よりも黒い津の海

 

   帰りたい場所を思えり 居場所とはあの日の白い精神病棟

 

 

   さぎょうじょでわたしまいにちはたらいた40ねんかん 濡れる下睫毛

 

   みわけかたおしえてほしい 詐欺にあい知的障害持つ人は訊く

 

 

   「奨学金は高校から」と言われし日 募金の声を足早に過ぐ

 

   本好きな少女の脚に虐待の傷が静かな刺繍のように

 

   左腕は便箋に似て横線が刻まれている白き傷あと

 

 

   離れゆく背中 とっさに手を伸ばし「待って」と言えば友は振り向く

 

   警報の音が鳴り止み遮断機が気づいたように首をもたげる

 

   友達の破片が線路に落ちていて私と同じ紺の制服

 

   散りぢりに友渇きゆく踏切に供える花も二年で途絶え

 

 

   まっさきに夜明けの風の宿る場所 屋上階に旗はそよぎて

 

   揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴

 

 

   母は今 雪のひとひら地に落ちて 人に踏まれるまでを見ており

  

   藍色の雨降りしきり白々と 樒(しきみ)の香りふくらんでいく

 

 

   失われたる命へと捧げられ それでも春を祝す花たち