魂の情報化。 | トーキングドッグ

魂の情報化。

攻殻機動隊アニメシリーズの主人公・草薙素子役の声優の方が亡くなられたそうで。声優業界については全く詳しくないが、数々の名場面、名セリフを思い返すにつれ、あの方の代わりはいないだろうと思わされる。「おまえ、私の部下になれ」→スナイパー・サイトー。初対面でそんな…、下手すると何かのプレイ?笑と思ってしまうシーンにも説得力が。「サイトー!そいつをよこせぇ!!」あ、またサイトーさん。




劇場版『GHOST IN THE SHELL』はDVDも購入、たぶん『機動戦士ガンダム・逆襲のシャア』と同じくらいリピートした作品。

で、映画版は原作とだいぶ趣が違う、という噂は当初から目にしていて、原作本も読んでみたいと思いつつ二十数年?笑、たまたまなんだけど一ヶ月くらい前に購入。まだパラパラとしか読んでいないが。絵柄に慣れないのと文字情報多く、まだちょっと読みづらい。



TVシリーズの『STAND ALONE COMPLEX』とその続編『SAC 2ndGIG』も文字通り夢中になって観て、人生で最上位のフェイバリット作品なのだが、つっこみを入れたいところもある。

その一つは作品の根幹を成す要素だが、「ゴースト」の在り方。『攻殻』では肉体と、ゴーストと呼ばれる魂のようなものが明確に分けられているが、この認識の仕方が多くの人に共通する誤謬だと自分は思っていて。魂、私を私たらしめる自我、自意識(←この辺りは一緒くた)は、生物の肉体にのみ宿るもので、独立して存在することはないと。

簡潔に言えば、自我や自意識は生物における生存のための機能から発展したもので、例えば単細胞生物が「あっちは酸性で身体によくない」と進路を変える反射的反応、みたいなものと地続きであり、生き残らせるべき肉体がなければ存在する意味がない。あとは時間と意識の関係についても語りたいが長くなりすぎる笑ので。やはり簡単に言えば、意識は時間の流れの中にしか存在できない(というか時間の流れを創り出しているのが意識)ので、物体のように宿る場所を移動させたりはできない。「私」は今この瞬間にしか存在しない。

関連して、劇場版に出てくるラスボス的キャラ「人形使い」の存在にも疑問が。「ネットの情報の海から生まれた」と自分で言っているが、「情報」とは受け手にとって意味を成すことで初めて情報となるもので、「情報」として単独で存在することはないのではないか、ネットの深層でまだ情報とならない何か、がいくら積み重なったところで、自我のようなものが発生することはないのではないか、という。

確かに生命体も「情報の集積体」と言えるだろうが、自我のようなものは存続させるべき身体がなければ発生する意味がない。やはり肉体が先である。「人形使い」は「君と融合したい」とか「死(のようなもの)を得たい」とか、生物のマネをしたがっていたが順序が逆であろう。そんな面倒くさいことしなくていいでしょ笑。

漫画やアニメに限らず、身体と「魂」を分けて考える人は多く、「自我をコンピューターに移植して永遠の命を」と考える科学者も。確か十数年前、まだそんなに有名ではなかったイーロン・マスクも言っていた記憶。

「自分」とは現象と捉えればいいのではないか。「現象」をコンピューターに移植することはできない。出来たと思ってもそれは全く別の何か、であろうし、だいたいがどうやって確かめるのか。極論すれば今の「自分」と一年前、一ヶ月前、一日前の自分は全くの別物である。



長くなった…。まだ書きたいことが。