7時00分・参拝、結願成就。
7時30分・出立。
国道377号を約5km歩いて、東かがわ市の
長野いこいの家バス停を目指す。

朝のバスは2本、6時台と8時台
それを逃すと午後3時台まで来ない。
バスは、8時50分頃の便だったから
7時30分→5km→8時50分で
5km=1時間20分なら間に合う。
けど急ごう、幸い足腰の痛みは無い。

途中、2台の車を止めるが、いずれも
行き先違いで乗せてもらえず
それでも早かった
8時30分・バス停着。
バス時刻表は8時52分発、間に合った。

後ろのベンチに座って待っていると
定刻2~3分遅れで
右側からバスがやってきた。
リュック、杖、ずた袋を持って立とうと
するととと…、
バスはそのまま素通りした。

あれっ違った? 
でも、時間的にはま違ってない。
私は道路のまん中に出て手を振った。
「おーい、いてるぞー!」
しかし
バスは虚しく坂の向こうへ去って行った。

あれっどういう事? どしたん?
一瞬の間にいろんな思いが浮んだ。
バスが違った.
3時のバスを待つか
歩いて板野へ出るか
いや、それでは今日のお礼参りはムリ。

昨日、バス会社に問い合せした時
自社路線以外も調べて
丁寧に対応してくれた事を思い出した。
大川バスだ。履歴No.がある。
TELして、文句言ってから考えよう。

事情を説明すると
「今、運転手と連絡とって
折り返し電話いたしますので
しばらくお待ち願いますか」
わかりました。そして
「今、そちらへ向かっておりますので
もうしばらくお待ちください」
えっ、戻って来るの。
「はい、よろしいですか?」
ああぁ…、わかりました
ありがとうございます。

そして、暫く後
左側から来たバスは、一但通り過ぎ
右側から再度あらわれて
止まった。
戻ってきたバスに乗るのは
初めての貴重な体験だ。

乗車して、どうしたのか聞くと
運転手は
「歩き遍路さん違うんですか。
座ってるのは見えたけど
バス停に立ってなかったので
休んでると思いましたわ」
歩き遍路やけど、結願打ち止めやから
バス乗ってもええねん。
居るのが見えてたら止まってよ
びっくりした。
「ようあそこで休んでるんですわ」
休んでても、おったら止めるやろ普通は
と、言うところだが
結願成就したお遍路さんは違う。
おだやかに
戻って来てくれて助かりました
おおきに、と言う。
「いやあ、すみませんでした」
向こうがはじめて謝ってた。

後はスムーズに
JR三本松駅からJR坂東駅へ、少し歩いて
四国1番霊山寺でのお礼参り。
納経所の尼さん?には
「結願されましたね、よかったですね。
又、来られますようにね」
私は、いいえもう十分、とは言えず
ただただにが笑いで頷いていた。

その後、徳島までは路線バス
徳島からは高速バスの旅を楽しんだら
私のこの
四国八十八ヶ所歩きへんろの通し打ち旅
第一巻の終り。

☆今日の行程・霊山寺まで6時間
地図上では、39km
歩数計では、11787歩=7km
32kmも楽させて頂きました。

◎今日のコメント
公共交通機関だけを利用して八十八ヶ所を
迴っている埼玉のお遍路さん。
「1日のルートを作るのに2日かかる。
それでもお寺の事情や遍路さんの数まで
は分からないので、なかなか計画通りには行けない」
でも
うまく行けない日があるから
うまく行った時の喜びが大きいと言う。
「たかが遍路のコース計画ですが
以外と人生なんですよ」
たしかに計画と実際は違う。
遍路旅は人生旅かもね。

今日のショット
事件の発生した、長野いこいの家バス停

JR高徳線各駅停車の旅もおつなもの

列車の駅からでないと通らない石碑の道

お礼参り霊山寺の仁王門

松葉が三本ある三鈷の松
もってるとお金に困らないとか

お礼参りの納経で頂いた
願此成園 説明してくれましたが…

今日の霊山寺は外人さんも多かった

2ヶ月近い歩きへんろの旅が終る。
これで
私は何を落として、何を得たのか
まだ何もわからない。

うたんぐらで出会った尼さんの言葉
「88番に立った時、まだ何か違う
まだ何かあると思って、又、出立するの」
その意味
少しはわかるような気もするが
とりあえず私の
四国八十八ヶ所への憧憬、挑戦は
今日をもって打ち止めとする。

この経験を基に、これからの人生
のんびりゆっくり、むりせずあせらず
楽しみながら生きてゆけたら
しあわせだろうと思っている。

最後に
この旅の途中でいただいた
「丁度よい」のことばを記して
私の旅の終りとしたい。

 丁度よい
お前は お前で ちょうどよい
顔も 体も 名前も 姓も
 お前に それは丁度よい

貧も 富も 親も 子も
 息子の嫁も その孫も
それはお前に 丁度よい

幸も 不幸も よろこびも
 悲しみさえも 丁度よい

歩いた お前の人生は
 悪くもなければ 良くもない
お前にとって 丁度よい

地獄へ行こうと 極楽へいこうと
 いったところが 丁度よい

うぬぼれる事もなく
 卑下をする必要もない
上もなければ 下もない
 死ぬる年月 その日さえ 丁度よい

お大師さまと 二人づれ
 丁度よくない はずがない  合掌