自分自身、3人の子供達と巡り会うことができ
日々、嬉しいことも、苛立つことも、ショックなこともある。
最近では、僕が月曜日が休みなため、子供たちが休日の時は共に時間を過ごすことができない。
だから月曜日だけは、子供達が学校から帰るまでには用事を済ませ、何もなければ自宅待機している。
双子の小学2年生の息子達はサッカーをしているので、毎週月曜日は宿題が終わったら外でサッカーの練習(遊び)をするのが通例行事となっている。
先週、いつものように子供達が学校から帰ってくる前に自分の用事を終わらせ、サッカーができるように自分自身、身支度をし、心の準備をしていた。
そして息子達が帰ってきて早々、
「今日、宿題終わったら遊びに行ってくる!」
と言うのだ。
「あ、あ、そうなんだ!」
と、戸惑いを隠しながら返事をした。
その時、なんとも言えない寂しさが襲った。
「あー、こうやって、子供達は離れていくんだ」と。こう言う思いは初めてだった。
我に返り、まぁ、まぁ、そうだよなと。
子供だって子供達の社会があって、そこでの
付き合いもある。これは記念すべき日なんだと
言い聞かせた。、
予定がなくなってしばらく呆然としていた。
読みかけの本を読むが頭に入ってこない。
まだ、切ないのだ。
ぼーっとしたまま本をめくり、時間を過ごした。
16時になったら帰ってくると言ったので、
15時50分くらいから、僕はサッカーボールを抱えて、個人練習してましたよ的な雰囲気を醸し出して外で子供達の帰りを待った。
そして、2人で公園からずっと走ってきたと、
ニッコニコしながら帰ってきた。
「よし!サッカーしよう!」と言ったら、
淀みのない澄み渡る青空のような笑顔で
「鬼ごっこしよう!」と、次男。
…ま、いっか!
余談が長くなりましたが、
そう、記念日は嬉しさや、感動がある。
がしかし、その一方で、子供との時間、大事な人との時間は限られていて、その感動する機会も次第に減っていくだろう。
しかし、時間が限られているからこそ、嬉しさや感動もまた、大きくなる。
たまに思う。
「俺ももう42歳、あと半分の人生かぁー」
あと何回、子供達の成長を見られるだろう。
祝えるだろう。
危機感で、ドキッともなる。
日々の何気ない成長を見届ける、その瞬間を
しっかり感じ逃さないようにしたい。
そして区切りの歳には、家族みんなで
お祝いをして、家族の思い出を作っていきたい。
死んでしまえば、何も残らないが、
伝統や文化は時代と共に形は変わっても、
そういうものは受け継がれていく。
世界情勢もどっちに転ぶかわからない。
日本に生まれたんだから、日本を守らなくてはいけない。
家族はあくまでも他人。
生まれて最初に接する他人は家族。
だからこそ、危ういところもある。
深く愛情を持って成長を祝い、自分自身も子供と共に成長していく。
子供は親のやることをしっかり見ているし、
覚えている。自分がしてもらったことを、
今度は違う誰かに返してくれるだろう。
そうやって、一つの小さな家族から、
強く逞しくなっていく。
それが結局、いい未来に繋がっていく。
一人ひとり限られた大切な時間の中で、
大事な誰かの成長や、誓いの場に美容師として携われることはとても嬉しいし、この仕事をさせてもらえることをとてもありがたいことだと思っています。
その大切な時間を任せていただいた時、
何ができるかをもっと深く考えなくてはいけない。
という、今日はそんな独り言でした。
ありがとうございました。
戸塚拓也