Takuya Angel/ Yamato-Den-戦争1
『わたしが一番きれいだったとき』
茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを 落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を 捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか 知らなくて
きれいな眼差だけを残し 皆発っていった。。。。

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第二次世界大戦における死者は約6000万人
日本人は300万人以上が犠牲となった。

1945年3月10日 東京大空襲
家族6人を失い、当時11歳だった
焼け跡をさまよった少女時代をすごした
海老名香葉子(夫・林家三平)さんが出演していた番組で、
戦争の体験談をお話になっていました。

私は戦後の生まれなので、
戦争とは何か知りたくて、良く理解して
今後こういった事態にならない様に、
自分の息子に語ってあげたいので、
よく観るようにしてます。

youtubeにあるので観てください
1-5まであります
戦争体験談


この番組の最後に茨木のり子さんの詩が朗読されています。
ファッションに携わる者としてとても考えさせられました。
歴史にファッションありき。
ファッションにその時代は写る。

私はファッションとは着る人やその時代を写す鏡の様なものだと思っています。

$Takuya Angel/ Yamato-Den-茨木のり子


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『わたしが一番きれいだったとき』[全文]
茨木のり子


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを 落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を 捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか 知らなくて
きれいな眼差だけを残し 皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことって あるものか
ブラウスの腕をまくり 卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのように くらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽を むさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた
できれば長生きすることに
年とってから 凄く美しい絵を描いた
フランスの  ルオー爺さんのように  ね

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