ブログ・生きること。

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悲しみを乗り越えて 生きること

喜びを分かちあって 生きること

笑顔が生まれ 絆になる 

From.T.j 



             

























長編小説 『EMBRACE』はじまり~復讐編 連載中



《あらすじ》
神代哲哉はナイフが刺さった状態で倒れている友人、山下智を発見した。既に息はなく、悲しみに打ちひしがれた哲哉に殺人の容疑がふりかかる・・・逮捕から三年後、警視庁捜査四課・上野山の手によって無罪が証明され哲哉は出所する。しかし哲哉は智の死について一切語ろうとせず自分の人生を捨てる覚悟で復讐を誓う
 























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山口 蛍の運動量は半端ない。
ピッチを縦横無尽に駆け巡り、相手の
パスカットは勿論の事、自陣のバイタル
エリアまで顔を出しラストパスを供給
する。

そんな攻撃を仕掛けながら相手ゴールに
迫るセレッソサッカーは、今年のJリー
グ開幕以降残念ながら息を潜めている。





今年のセレッソには世界的スーパースタ
ーであるウルグアイ代表FWディエゴ・
フォルランが入団した。
2010年のワールドカップでは見事MVP
に輝いた超大物である。
彼の持ち味は正解なシュートは勿論の事
スペースに動くだけにとどまらず、味方
の選出からパスを受け取る為にポジショ
ンを下げてクサビの役割まで果たす非常
に献身的なプレーヤーのひとりだ。
当然ながらエース柿谷との連携を深めた
二人のゴールを期待したが、これが今の
ところ不発に終わっている。

原因のひとつは当初採用したフォーメー
シーョン。
4•4•2でスタートしたが、二人のスタイ
ルが同じである為に柿谷の動きに変化
が生じ、昨年のようなポジショ二ング
が得られないからだ。

監督は今年から就任したランコ・ポポ
ヴィッチ。昨年までFC東京の指揮を
とった人物である。
浦和のペトロヴィッチ監督がサンフレッ
チェ広島の監督時代にコーチを務めたこ
ともありその後は大分トリニータやJFL
時代のFC町田ゼルビアを導いて来た。




昨年より選手層も厚くなり力をつけて
来たチームに期待することは当然ながら
優勝以外にない。
ところが昨年のチームを築き上げたクル
ピ監督を解任してまで招いたポポヴィッ
チの戦術は、あまりにも単純で適当で、
約束事など皆無な選手任せの内容に終
止している。
正に昨年のFC東京の二の舞である。

先日行われた浦和戦はポポヴィッチ得意
のスリーバックに対して同じフォーメー
ションで挑んだ結果、シュートも満足に
打てずに1-0の完封負け。
同じくACLでの中国広州も5点を取られ
る屈辱的大敗だった。
能力の高い選手んを揃えても監督の手腕
ひとつでこのような結果を招く。

ザッケローニも代表のゲームで時折スリ
ーバックを試しているが、その際生じる
右サイドの吉田と内田のスペースがまる
で埋まらない。
ボールは回らずポジションの修正に追わ
れる有様だった。






チームが低迷していても選手の調子は決
して悪くないのに点がとれない、勝てな
いのはなぜか?

少なからずとも指揮官の明確な意図が
不透明であり選手起用に問題があるのは
確かな事実である。

セレッソに於ける課題は日本代表の指揮
をとるザッケローニとリンクする部分が
多々感じられる。
例え選手を入れ替えてもサプライズ的な
采配が無い限りベスト16の壁は決して
破ることなど出来ないだろう。








東アジアカップは2013年7月に韓国
で開催された。
同じ年の6月にはブラジルW杯最終
予選が行われ、見事にB組1位通過を
決めている。

最終予選のメンバーをA代表と
捉えるならば、東アジアカップは
B代表の位置付けとしてバックアップ
メンバーの発掘に絞った選手選考と
なったのだ。

ただこの大会は、国際Aマッチとして
認められていなかった為に、海外組の
招集は各クラブの承認が得られず見送
られた経緯も存在した。


そして、最終予選終了後、休む間も
なくブラジルに於いて各大陸チャン
ピオンが戦うコンフェデ杯に出場し
なければならなかった為、東アジア
カップに於ける国内組の若手招集は
ザッケローニのスケジュール通り
だったのだろう。
ようやくロンドン五輪世代との融合を
目指した最強ジャパン作りの一歩を
踏みしめたのだ。

そしてこの大会で頭角を表したのが
柿谷曜一郎、山口 蛍、大迫勇也の
3人だった。

柿谷、大迫のポジションには当時
エースストライカーである前田遼一が
存在し、サブには高さを武器にポスト
プレーが得意であるハーフナー・マイク
が、そして本田がトップに入り中村憲剛
がトップ下に入るオプションも試され
ていた。



当時不安視されていたのはハーフナー
・マイクと本田との連携だった。
本田はマイクにパスを出す事はなく、
全くかみ合っていなかった事実を考え
ればマイクの代表落ちは明らかだった。
なぜならば、ザックジャパンは絶対的
エースである本田圭佑を軸に構成され
ているチームだからだ。

大黒柱の意見を直接聞いたかどうかは
定かではないが、本田と合わない選手
の招集見送りは否めない事実であり
ザッケローニが語る”チームの和を
大切にする"
意図が見え隠れするのも
如実に感じられる事実だろう。


山口 蛍のポジションは、ボランチと
呼ばれる三列目のMF。
レギュラーメンバーには遠藤保仁、
長谷部誠、控えに細貝 萌、高橋秀人
が選ばれていた。

ボランチのポシションは遠藤のように
後方からゲームをコントロールし、
得点に繋がるパスを供給するタイプと
長谷部のように中盤のピッチを所狭し
と走りまわり、相手の攻撃の目を積み
取っていく、攻守に異なるふたつの
タイプがプレーするポジションだ。
そしてその両方の力を兼ね備え、
90分間全力で走れる体力を持つ10年
に一人の逸材が現れた。


東アジアカップMVP,
そしてセレッソ大阪キャプテン、
山口 蛍の台頭である。










先日W杯に向けて、ザックジャパンが
発表された。
レギュラーメンバーに関しては誰もが
予想通りの人選だったに違いない。
しかしながら過去を振り返ると
岡田ジャパンでは三浦カズに北澤が、
トルシエ
ジャパンでは中村俊輔が
間際の代表落ちを経験している。

当然マスコミの関心事は例のように
ザックジャパンにもサプライズが
あるのかないのか、正にサッカー
ファンにとっても見逃せない発表の
関心事でもあり、ある意味見えない
新しい戦力に対する期待への願い
でもあったはずだ。


ではサプライズとは
一体何なのか・・・・


過去の代表選出とは大きな違いを
考えてみると、海外メンバーが
その多くを占めることだ。
23名中その12名の選出は、当然
ながら最高人数であると共に世界の
トップリーグで活躍する選手達が
名を連ねる。
経験がものをいう世界において
W杯で戦う上でのフィジカルの強さや
スピードを肌で感じながらプレーして
きた実績は、A代表選出の為のベース
になり、ザッケローニの意図とする
戦術理解においてもスムーズに運んで
来たことは周知の事実である。

そして今回選出の大きな判断材料には
具体的に3つの理由が明確に存在した。

先ずは”キーパー以外の選手は
全員2つ以上のポジションを
こなせる事”

そして”チームの和を大切にするこ事”

最後に”攻撃的なチームである事”

以上が23名選出に於ける具体的な
判断材料である。




2010年に代表監督就任以来、
大きなメンバー変更を行わず本番に
挑むザックジャパンの弱点は、
一貫して”最終ラインと最前列”だ。
要するに得点を与えない守備の強化と
点をとる人材の発掘である。

過去の代表選出に於いてザッケローニ
が大きく動いたのは、2013年に
行われた東アジアカップに挑む代表
選出のメンバーだった。

海外組の招集を見送り国内組オンリー
のフレッシュな若手中心の新たな人材
発掘にようやく重い腰をあげたのである。

それはブラジルW杯本番を控えた
一年前の出来事だった。











夏の甲子園が終わった


優勝はサッカーの名門
前橋育英高校だ

キャプテンは
4番・サードを務め
父がチームの指揮をとり
親子で甲子園を目指して戦ってきた




夢叶い、憧れの甲子園の舞台へ。



母がスタンドで応援し、父が笑顔で
チームの指揮をとる


同点で迎えたゲーム終盤、期待に
答えて息子が決勝打を放つ


そして初出場・初優勝・・・



どんな神が降りてきた?・・・

彼らに降り注いだ光は
彼らにしか見えなかったのか・・・





甲子園で起こる
数々のドラマは美しい


なぜならば

悲しみの涙
笑顔の涙
悔しさの涙

全て明日から
笑顔に変わるからだ


野球少年の集大成は
涙が全てのように
思えてならない


自分もそうであったように
時が過ぎても
かけがえのない物は
変わらない
言葉で表現できないものが

涙だからだ



















夏日再来・・・

Facebookでは
元気がでるナンバーを、
Amebaでは
想い出振り返る
バラードを・・・


新幹線から
見える桜木町の看板は
度重なる東京出張の
良き想い出だ




全てを
たぐり寄せれば
メロウな気分になる




いい歌だ












「すご~い!! ローラーコースター
バッチリ撮ったよ!! すごくよかった
 (#⌒∇⌒#)ゞ」


滅多に決まることのない大技の
瞬間をマミは逃さなかった
何時間ものあいだ中、浜辺で海の向こうに
見える景色を眺めている。


俺が海から上がるまでずっと
眺め続けている・・・


俺のことを見つめているなんて
思ったことなど一度もなかったのに
彼女はいつもこう言った


「いつも見てるから・・・」

「えっ?」




「ちゃんと見てるから。」

「ありがとな・・・」



見栄を張る必要などなかった。
素直に嬉しくて


「ありがとな・・・」



心からそう感じ、言葉に表現することが
大切に思えたからだ。







人生の中で出会いは数多く訪れる。
でも、ほとんどの人々が言葉を交わすこと
なく通り過ぎて行く


「ねぇ、ケンジ? アタシたち、出会えて
ホントに良かったね。(^-^)/」


「そうだよな、マミと出会えて良かったよ。
運命に、心から感謝だよ・・・」



自然体でそう話す俺は、すべてを
マミに委ねていたのだ








ボードにまたがりながら通り過ぎていく
波を感じながら想い出を振り返る


そして時折浜辺を振り返って見ても
彼女はそこにはいない…


面影を追うためにこの海を訪れる
わけではない
彼女との出会いが俺のすべてを
変化させたからだ




ジグソーパズルのラストピースを
はめ込んだ時に起きた化学反応に
人生の光を見た


マミと出会い
この海を訪れ
沢山の元気をもらった


同じ夕陽を見つめながら
穏やかに時をすごして行く・・・


決して長くはない彼女と過ごした
時間は素晴らしい教訓だったのだ




天使は飛び立って行った
笑顔と素敵な言葉を残して・・・


瞳を閉じるとファインダーを覗く
彼女の姿がよみがえる




俺はその日、たった一本だけ
ライディングを試みた波で完璧な
オフザリップを決めた


そして海から上がり、浜辺で
瞳を閉じるとマミは笑顔でこう言った


「すご~い!!オフザリップ !!
バッチリ撮ったよ!!
すごくよかった
 (#⌒∇⌒#)ゞ」






「ありがとな。。」














こころでそうつぶやいた・…









☆完璧なフィクションです





「わぁー、いいね、いいねぇー。エクセレントだよ!!」

マミは、波のサイズが肩を超えると
エクセレントと表現する。
そして肩から腰にかけてのサイズを
ミディアムと称し、それ未満をウエルダンと
形容する。


波のサイズをステーキの焼き具合に
例えるのは実にユニークで彼女らしい
表現だ。


「ねぇ、ねぇ、600mmで撮ろうか(・・?」
「無理だよ。三脚ないし・・・いかにマミ先生
でもダメっしょ。。」

「でもチューブありでしょ(・・?」
「はぁ? 俺(・・?  ないし…」

「じゃあオフザリップで我慢する。。」


お互いカメラに興味を持っていた。
デジタル一眼レフが流行り始めて
以来、二人でヨドバシカメラにでかけては
各メーカーお勧めのファインダーを覗いて
いたのだ。





そして今、マミの手にはオレンジ色のPENTAX
K-30が輝いていた。
彼女のポートレート撮影が開花したのも
ちょうど夏の終わりに近いこの季節だったに
ちがいない。
あれからどれだけの
月日が流れたのだろうか…



「体調は?」
「うん、大丈夫。でもごめんね、無理言って
海連れてきてもらって・・・」

「先生が行って来いって言ってくれたんだ
から、謝ることなんかないよ。
こんなに早くマミと一緒に来れるなんて
思ってもみなかったからこっちがお礼
言わないとな。。。」

「なんかうれしい、いいPhoto撮るからね。」

満面の笑みを浮かべて語るマミは
輝いていた。



同じ趣味を持ち、同じ思いを共有することは
非常に難しい。
愛とそれとは別な領域に存在することが
当たり前の世の中に変わってしまった今の
時代にとっては暖かい人生の歩みだった。










お互い同じ夢を追い
同じ未来を想像していたのは
奇跡に近い出来事だった。



俺はサーフィンの腕を上げた。
そしてマミは誰にも真似することの
出来ない感性を持ち、海に於ける様々な
情景を撮影した作品は、
フォトグラファーとしての思いが
伝わる素晴らしい物ばかりだった。



波待ちをする俺の脳裏にカメラを構える
マミの姿がよぎった。

海に入ってどれだけの時間が過ぎたの
だろうか…



太陽は水平線の彼方に沈みかけていた。









次回完結。








安らぎを感じ
こころが豊になる

鼓動を感じ
胸が熱くなる

喜びの涙が迸り
こころの裏側まで
洗い尽くす

そんな想いを垣間見たのは
偶然だろうか…


ひとそれぞれに
みなそれぞれに
生きている


鼓動を感じながら
大地を踏みしめて


生きている













(これくらいの刺激がないとやってられない、、、、)
ジョーは心の中で呟いた 。

当時のHotel ARBAN BREEZEでは
年間の披露宴件数が、1,200件を
超えていた。

この数字は、大阪府内にひしめく
HOTELや結婚式場を含めた中で、
リーガロイヤルホテルに次ぐ
第二位の獲得件数だ。

仏滅以外の"お慶びの日"は土•日を
基本に選ばれて予約が入る。
通常ひとつの宴会場で午前•午後の
二件の予約を承るが、なんと
ARBAN BREEZEでは三件の披露宴が行える
様にスケジュールを立てていた。

必然的に一本目と二本目の宴の時間は
二時間半に抑えないと後につかえて
大変な事になる。







ARBAN BREEZEにはチャペルが
二つ建てられていた。


石を基調にステンドグラスが輝く
森のチャペル。

もうひとつは自然光を取り入れコンクリートを基調にした
アートチックでモダンなチャペル。

そして、チャペルでの挙式を夢見て
結婚に憧れを感じる女性が
ブームに拍車をかけたと言っても
過言ではない位に、ウェディングドレスを着た
花嫁が誕生したのだ…