ダヴィンチは、ライセンスがいりますし、いろいろと条件が厳しくなっています。それはダヴィンチの提供元の条件と思います。

最初の手術にはプロクターを付けるのは必須になっています。

なので、プロクターの先生の旅費と日当?がもったいないにしても、たぶん、来てくれていたと思いたいです。

あとから、あまりに不安になり、プロクターの先生に電話で、ほんとに手術は大丈夫だったんですか、と聞きました。手術はしていないとおっしゃいましたけど、私のからだの横にいたとおっしゃいました。それは信じたいです。


ほんとはお会いしたいと執刀医には言いましたが、着いたときにはあなたは麻酔の中だよ、と嬉しそうに言いました。


子宮は取らなくてもいいけど、プロクターの先生は、たぶん取ると言うね、と執刀医は言いました。そこでそれを使うとは。

プロクターの先生が、執刀医がやりたくてたまらない手術だったと仰ったのです。それは事実。わたしが思ったのではなくて。手術というものを、やりたくてたまらなくてやるものだとは思ってもみませんでした。


それ以来、ダヴィンチという字も、ロボットという字も、手術の光景も、わたしにとっては見たくないものになってしまいました。トラウマです。

それも、その後のことがあったからですけど。


あーまた愚痴になってきた。きょうはここまでです。