今日もいい空気・・・
ある本で、ある出来事を「努力で行っている人」と「好きでやっている人」、努力の人は勝てないと書いてあった。
最初はその言葉にそうだなと思った。もちろん好きでやっているのだから、努力って感じにならないほうが良いに決まっている。
でも・・・「努力しろ、水を飲むな、死ぬほど練習しろ」と長年教えられた僕には、「取組=努力」になってしまう。 僕は何かを楽しむってことがなかなかできない。
どうしても「努力」になってしまう。 じゃあ「努力」が「好き」を超えることはないのか?
子供が滑り台を何回も何回も滑る。最後は親が疲れ下で待っているだけになる。
大人は最初は安全の為に付き合ってあげる、階段を登って、滑り落ちる、何回かすると階段がきつくて仕方ない。
そこからは子供一人で階段を登っていく、思い浮かべてほしい。子供にとっても階段は辛い、手で膝を押してサイズの合わない階段を登っている光景が目に浮かぶ。
どちらかと言えば、大人の方がスタンスが大きい分、楽に登れるはずなのに、子供よりも回数ができない。
「しんどい」という言葉を子供からはあまり聞かない・・・年齢を重ねてことで「しんどい」「めんどくさい」とのワードが発生しているのではないか? そのワードが自分の気持ちを制御させているのではないか?
「とても好き」じゃないと物事は「成功」しないのか?・・・僕は「割合」だと思う。
色々な要因はあるが今日は「成功・達成」を「好き」と「努力」でわけてみる。
子供の滑り台に「努力」はない「好き100%」なのだ。でも僕らが滑り台をやろうとすると「努力100%」なのだ
でも「好き度を努力でカバーすれば、好き100%と同じ結果」が生まれるのだと思う。
しかし「努力=辛い」この感覚が多いと絶対に勝てない。僕らの世代に必要なのは「努力を楽しむ」いや「努力している自分に酔って」もいいのではないか?
子供のように無心にはできないが、うまくいけばモテるんじゃないのか?チヤホヤやれるのはないのか?給与があがるのではないか?そんな邪(よこしま)な気持ちでもいいのではないか?
アプローチの方法は様々、1つではない。結果がでればそれでいいのだから。
そして・・・その結果は成功でも失敗でいい。勝負はそれからなのだ。
「挑戦なくして成功」
<プロフィール>
巧株式会社 代表取締役
経営者「空気社長」
(大橋大記・巧プロジェクト)
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