『小悪魔の逆襲』
九月初旬。
秋雨がぱらつくある朝、御堂美夜(ミーヤ)は窓際の席から空を見つめていた。
(……清楚気取りの戦術が通じるのも、今のうち)
北野沙良の反撃によって、彼女の主戦場だった「露骨な誘惑」スタイルは封じられつつあった。
だが。
(私は、“小悪魔”。こっちが本領よ♡)
『第一段階:揺らす』
月曜の昼休み。
佐山が自席でインスタントの味噌汁を啜っているところへ、ミーヤがひょっこりと座る。
「ねぇ〜、佐山さぁん♡ 土曜日、ありがとうねぇ♡」
「えっ……ああ……はい」
ミーヤは、ほのかに香る柔らかいパフュームの香りを漂わせながら、あえて距離を詰める。
「……あのね、ずっと言えなかったけど……佐山さんって、ミーヤにとって、特別なんだぁ♡」
彼女は目を潤ませ、か細い声で囁いた。
「……佐山さんに、嫌われたら、ミーヤ……立ち直れないかも」
(“重さ”は時に最強の誘惑)
佐山は目を逸らした。
「逆にですね……それ、反則です」
(効いてる♡)
『第二段階:情報操作』
火曜午後、女子更衣室。
ミーヤは北野の机の上に、ひらりと一枚の紙を置いた。
“匿名アンケート:職場の雰囲気について”
内容は、ハラスメントや業務負荷、コミュニケーションなどについて答えるものだった。
ただし、裏では……
「北野さんが主導で書かせてるらしいよ」
「えっ? なんか告げ口させようとしてる感じ?」
「ちょっと怖いよね、あの人……」
ミーヤは密かに噂を流した。
“清潔感の裏にある支配欲”を、じわじわと植え付けていく。
『第三段階:味方を取り戻す』
水曜。
佐川がミーヤの元へ、小さなお菓子の包みを持ってやってきた。
「こ、これ……この前の差し入れのお礼に……」
「えぇ〜〜♡ 嬉しいぃ♡ サガッチぃ、やっぱり優しいぃ〜〜♡」
佐川は、耳まで真っ赤にして言った。
「……なんかさ、最近の空気……息苦しくてさ」
「わかる〜〜〜! ミーヤもぉ、ずっと我慢してたの〜〜〜」
彼女は大げさに、涙を拭うジェスチャー。
「ねぇ……また、飲みに行こうよぉ♡ ちゃんと2人で話したいなぁ♡」
(これで、佐川は“こっち側”に戻った)
『会議室の密談』
木曜午後、定例会議のあと。
ミーヤは北野を呼び止めた。
「……ちょっと、話せる? 会議室で」
ドアが閉まり、空気が一変する。
「……あんた、何がしたいの?」
「正しいことを、してるだけです」
「ふ〜〜ん……正しいこと、ねぇ……」
ミーヤは机に両手をついて、ぐっと顔を近づける。
「でも、あんたの“正しさ”って、誰かを潰すことでしか成立しないの?」
北野は、動じなかった。
「あなたのやり方は、職場を壊します」
「……じゃあ、私がいなくなればいいってわけ?」
「……はい」
静かだが、強い声。
ミーヤの中で、何かがブチッと切れた。
「……ふふっ……あんた、後悔するよ」
「……あなたこそ」
『金曜:嵐の前夜』
夜。
ミーヤは久々に彼氏――20歳上の医者――と食事をしていた。
「最近、元気ないな。何かあったのか?」
「……ん〜〜〜、職場で、ちょっとだけライバル出現って感じ?」
「君が負けるなんて、想像できないな」
「ふふっ、でしょ♡」
グラスを傾けながら、ミーヤはにやりと笑った。
「……次は、“本物のハニートラップ”を仕掛けるつもり」
『土曜夜:罠』
社内LINEグループに、ミーヤが画像を投下した。
《BBQのときの未公開オフショット♡》
画像には、水着で佐山に寄り添うミーヤ、無邪気に笑う佐川、そして遠巻きにそれを見つめる北野の姿。
「このとき、佐山さんめっちゃ照れてたよね〜〜♡」
佐川:「うわっ、懐かしい!」
佐山:「逆にですね……夏、戻ってきてほしいです」
北野は、反応しなかった。
だが、その既読表示だけが静かに光っていた。
(……揺れてるわね♡)
『月曜朝:反撃の牙』
出勤初日。
オフィスの空気が、微妙に変わっていた。
佐山が、久しぶりにミーヤに話しかけた。
「先週末の写真……あれ、やっぱいい思い出っすよね」
「でしょ〜〜〜♡ また行きたいね〜〜〜♡」
北野は、黙々とキーボードを叩いていた。
だが、その目は、全く笑っていなかった。
『ノートの新しいページ』
夜、ミーヤは自室でノートを開いた。
「北野沙良――脅威レベル:★★★★★」
「現在:防戦モード(ただし精神崩壊までは遠い)」
「今後:周囲との分断に成功しつつある。最終フェーズへ」
『彼女を孤独にする。沈黙させる。
そして……“私の舞台”を取り戻す。』
