私は結婚し、北海道を離れた。
何もかも怖くてたまらなかったけれど、とにかく
一歩前に踏み出したのだ。
母からも、今までの自分からも。
いつも自分以外の人を基準にしてきた人生は
ここで終わり。新しい自分を生きる。
そう決めて
今までの人生から離れたはずだった。
母から離れさえすれば私は全く違った
人生が送れる。そう 思っていた。
夫は7歳年上のサラリーマン。
朝起きて会社に行って、夕方帰ってくる。
そんないわゆる普通の生活が始まった。
私は見様見真似で新しい生活を始めた。
食事を作ったり、買い物に行ったり、
洗濯をしたり。
ところが、私は何をどのくらいやったら
いいのか全く見当がつかない。
何もかも判断の基準が自分にないために、
夫の反応にものすごく過敏に反応してしまう。
部屋の状態はこれでいいのか?
料理はこれでいいのか?
部屋でどう過ごしたらいいのか?
そんな一つ一つが全く分からない。
昼間何してたの?
などと夫に聞かれるとどう答えていいのか
わからない。
怠けていたと思われるのではないか、
テレビを見たり、お茶を飲んで休んだり、
ということに物凄い罪悪感が湧き上がってくる。
なんでも完璧にやらなければ。
必要以上に緊張していた。
毎日休みなく続く生活に神経は限界まで
緊張しきっていた。
もう私を殴る父も、束縛して心を殺す母もいない。
自分の気持ちのままに過ごしていいはずなのに、
私にはそれができなかった。
人の気持ちを読んで自分の行動を決める。
それしか私には方法がなかった。
安心、安全でいいはずなのに緊張から
逃れられない。
思ったままでいいんだよ。
そういわれるたびに途方に暮れる。
私は自分の気持ちというものがないことに気が付き、
愕然とした。
喜びも悲しみも曖昧で、強く感じることがない。
自分が感覚を強く感じることがないから
他人に共感する力も薄いのかな。
少し手を切っただけで周りにその事実を話す
同級生たちが不思議だった。
どうしてそんな小さなことをわざわざ話すのだろう。
気持ちを聞いてもらう経験がない私には
話すことがどれほど自分を癒す力になるのかが
全く分からなかった。
話して聞いてもらって傷をいやす経験など
一度もしてこなかったのだ。
私は私の全てがとにかく許せなかった。
安心する自分。
安全な生活を手に入れた自分。
幸せな自分。
私だけが幸せになること。
そんな自分の全てが許せなかった。
母を一人にして自分だけが幸せになることへの
罪悪感が物凄い重圧にとなって私を押しつぶす。
苦しくて苦しくてたまらなかった。
母から逃れたらこの苦しみは魔法のように消えると
思っていたけれど そんなことは全くなかった。
周りが変わっても自分は変われないということを
いやというほど思い知らされ途方に暮れる。
私はどれだけの罪悪感を持ちながら
生きてきたのだろう。
「あんたのためにこんなに苦労してるのに!」
母の言葉が今も胸に突き刺さる。
母の苦しみの原因は私なのだ。
私さえいなければ母は幸せに笑っていた
はずなのだ。
そんな私が母を差し置いて
幸せになんてなっていいはずがない。
私は母に笑ってほしかった。
幸せに笑ってほしかった。
そうすれば自分も解放される。自由になれる。
だから頑張った。母に笑ってほしくて。
おどけて馬鹿な真似をしたり、プレゼントをしたり、
洗濯も料理もみんな
母が笑ってくれると思ってやっていた。
この時はまだ自分を大切にするという概念は
全く私の中になかった。
自分を責めること、苦しむことで許してもらえる。
苦しんでいる私を見れば満足して許してくれる。
そんな考えで自分を縛り上げて苦しめていた。
これでもか!これでもか!と
苦しめば苦しむほど母が頑張っていると
認めてくれる。
そんなことを本気で思っていた。
そんな私に転機が訪れる。
翌年生まれた息子はたくさんの喜びと
たくさんの驚きに私を巻き込んでくれる
大きな存在となる。
自分を大切にすること。
自分をわかってあげること。
自由に生きること。
私は大きな新しい世界を見せてもらうことになっていく。
