慣れない土地での慣れない生活。
楽しみよりも戸惑いの方が大きかったが、
何とか生活に慣れてきたころ
私は妊娠した
私は怖かった。
こんな私が子どもを持って
お母さんになって
子どもを幸せにできるのだろうか
自分がかわいがってもらえなったのに
子どもを愛せるのだろうか
頼る人もいないこの街で一人で
夫は頼れないだろう
休みなく続く家事と育児に
私は耐えられるのだろうか。
母親になるということは
私も母と同じことをする可能性ができるということ
恐ろしかった
自分が子どもを苦しめる側に立つのが怖い
頑張れるだろうか
私は子どもを愛せるのだろうか
小さな赤ちゃんを睡眠もろくに取れない中で
毎日休みなく育てること、
家事もしなくてはならない。
自分のストレスを子どもにぶつけて
ゴミ箱にしてしまったら
私は自信がなかった
母の忙しい辛い毎日を見てきたから。
そんな状況になったら私も子どもにストレスを
ぶつけてしまうのだろうか。
怖い。
子どもを持つことが怖い。
子どもに私と同じ辛い思いをさせてしまうのが怖い。
こんな思いだけはさせたくない。
でも私にできるだろうか。
いや、私は絶対にあんなお母さんにはならない
虐待なんてしない。
自分がやられて嫌だったことはしない
してもらえなかったけどしてもらいたかったことを
してあげたらいいんだ。
困ったことがあったら一緒に考えてあげたい。
帰ってきたときは「おかえり」と迎えてあげたい
不安な時は一緒にいてあげたい
なによりも
ご飯を一緒に食べて
一緒にテレビを見て
一緒に普通の毎日を過ごしてみたい
私はおなかの赤ちゃんに話しかけた
お母さんがんばれるよ
大丈夫だよ
そして、冬の良く晴れた寒い夜、
息子は穏やかに生まれてきた。
生まれてすぐ私の腕の中にやってきた息子は
眩しそうに少し目を開いて、
やってきたばかりのこの世を見た後、
すこしだけ声を上げて泣いた。
どんな感情が私に起きるのか、
かわいいと思えなかったらどうしたらいいのだろう。
そんな私の不安は全くなかった
この小さな弱々しい生き物に
私はすっかりやられてしまい、
この子のためなら何でもできる!
と物凄い力が体から湧き上がってきた。
私、うれしいんだ。
子どもが生まれたことを喜んでいるんだ。
そんな実感が確かにあった。
子どもの誕生を私は嬉しいと喜んでいる!
よかった。
将来自分が生まれた時のことを聞かれても、
自信を持って喜びを伝えられる。
こんなにうれしかったのだと自信を持って話せる。
こんな当たり前のことでも私には奇跡。
赤ちゃんが生まれてうれしかったと感じる
そのことがすでに奇跡だった。
そして気が付けば
家族ができる頃にはあれほど苦しかった
摂食障害の症状は跡形もなく消えていた。
息子の誕生は私にとって最大の喜びであり、
最も気持ちを揺さぶられる出来事になった。
今でも鮮明に覚えている子どもとの日々。
子どもを産んで育てていく中で私が経験した出来事。
嬉しいこと、楽しいこと。辛いこと、様々な気持ち。
それは私には、これが出来るならば
死んでもかまわないと思っていた夢の世界だった。
目の前に私の家族がいる。
自分が子どもだったころには決して叶えられることのなかった
家族との時間がある。
これが一瞬でも手に入るなら、
私はもう死んでも悔いはない。
それほど望んだ生活が目の前に広がっていた。
