最近、電車のダイヤが乱れまくってる。

まあ、仕方ない事だとは思うが、自分のレッスンがある時などは、ダイヤが乱れれば乱れるほど、自分の心も呼吸も乱れまくる。

乱れれば乱れるほど、心、此処に在らず状態で意外と何も出来てない。

逆に、慌ててはいるが、呼吸を整え、自分が出来る範囲で対処すると意外と抜け道に気づける。

これって正にヨガの練習。

自分がレッスンを受ける立場になると、今日はこの練習したくないのに、この動き今日は嫌だなという場に何度も遭遇する。

その心のまま練習し出すと、力みしすぎたり、変に呼吸が荒かったり…なんだか、あっという間にレッスンが終わったりと…。

一方で、嫌いな練習でも、嫌いなりに出来る範囲で落ち着いて取り組んでいくと、思いの外、しっくりとした練習時間になったりもする。

要はどちらもこちら、受けとる側の問題なのだ。

電車の遅延も、レッスンの内容も私にはどうにもならない事が多い。たからこそ、受けとる側の私の心のありようでどうにでもなるってもので。

とりあえず、まだまだ私の心は外側の事に乱されまくっていることには気づいている。
気づけているからこそ、後はその都度、自分が穏やかに過ごせる方向に対処していけばいいだけだ。その方向を探求していくことが、一瞬一瞬生きてるってことなんだろ…。