サークル 白昼社ex. 発行『桃の夢・M氏の幸福』泉由良 著 | たこさんのブログ

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不確かな時代に寄って立つもの

『桃の夢・M氏の幸福』
 サークル「白昼社ex.」泉由良著


 桃、甘美な果実であり、桃源郷に実る仙果。
 しかしその核(さね)は固くて苦い。
 本作は、そのような果実の夢だと言う。
 表題作『桃の夢』は言うに及ばす『M氏の幸福』のMは「モビカ」の頭文字であると作中で言及されているのだが、そうと分かってはいても「もも」のMにも通じている、そうも取れる。
 本作は四編の物語と一篇の詩で構成されている。
 各物語の関連は、はっきりとは見えてこない。こと、『ももの夢』『さよなら楓ちゃん』『M氏の幸福』、この三編はばらばらの物語のように読める。
 関連はないはずだと思いつつも、読み進めていくうちに、各編が微かに呼応していることに気づく。
 なにかが引っかかる。
 そしてそれは『M氏の幸福』で意外な人物が登場することで輪郭を備え、最終話『さようならしずるちゃん』によって呼応していた「なにか」を知ることになる。
 それが柔らかくとろけ、蜜の滴る仙果の「核(さね)」なのだ。

 本作の各編については、人によって様々な読みが出来ると思うが、私の感じた読みでリードを付けてみる。

『ももの夢』
 充実した日々を送る「わたし」、こと「もも」の見る夢。忘却と再会。現実に立ち現れる夢の続きの物語。

『桃の夢(詩)』
 閉ざされた/開かれた 楽園にまつわる瞑想

『さよなら楓ちゃん』
 「私」と友人の「Kちゃん」、そしてふたりのパートナーであるぬいぐるみたちの、どこか甘やかな夢を見ているような親交と、あっけなくはじけた夢の物語。

『M氏の幸福』
 M氏のサイトを愛好する「私」の見た、M氏の晩年とそ最期にまつわる「夢」。
 そう、これはまったくの夢の物語……
 あらゆることに秀でていながら手を伸ばすことを知らない少女と、その少女に手を差し伸べようとしたM氏について。

『さようならしずるちゃん』
 時は2020年。世界が災禍に見舞われた年に、「私」はかつての友人の面影を、駅で見かけた人物のうちに見る。そして「私」のなかに立ち現れる「別離」と悔恨の記憶。

 ぬいぐるみ、少女、親交、別離……各編、響き合うモチーフ。
 すこし強引な解釈をすれば、夢を見るのは『桃』なのだから、『M氏の幸福』で夢を見ている「私」は『桃の夢』の「わたし=もも」とどこか遠くで呼応しているのかも知れないとも思う。
 また、夢の登場人物のM氏の言動は、桃の果実を連想させ、M=ももの連想も働く。
 幾重にも語られ、語りなおされるモチーフは、本作の重層低音として響き合い、終幕の「さようなら」、永遠に別たれた関係への別離の言葉、いまもなおたしかに繋がる関係と、やがて来る再会の予感をもって幕を閉じる。

 夢から覚めるためには、夢を見なければならない。

 本作はおそらく、作者がもういちど、かつての夢を見るための物語だったのだろうと、私は思う。
 まろやかで甘い仙果の奥に抱かれた、固くて苦い核(さね)を手にするために。

 となれば、次の問いは「なぜ、いまなのか?」だろう。
 なぜ、作者はいま、このゆるやかな『桃の夢』に区切りを付けたのか?

 不確かなこの時代に寄って立つものは、自身のたましいの奥にある『桃の核』、それしかないと、そう、作者は静かに見定め、信じている……だからこそであると、私は思っている。