なぜ僕は此処にいるのか?疑問形の否定は個人的脱力感を誘発する。

けど、否定も肯定も何も無いよりは少しマシだ。

否定されるってことはまだそこに僕が何等かの形で存在してる証拠になるからだ。

努力次第で否定が肯定に転ぶ可能性も0じゃない。
あー鈍い光が見えるな。
届くか届くかないかは僕次第。

泥水でも水は水。
腐肉でも食は食。
啜って喰らって、
思ってたより幸せ者だ。


明日はライブ。
霞月さんの誕生日。

よろしければ。