1989年10月地震がきた | 田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

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青森県田子町は「にんにく」で有名になった。これはアメリカカリフォルニア州ギルロイ市と1988年姉妹都市締結したことで広く知られることになった。『にんにくの縁』は100年さかのぼることができる。それを知って欲しい。

1989年9月に開催した「にんにくとべごまつり」も終り、それに来町していたギルロイ市からのお客様も無事帰国した。グッド!田子町商工会青年部では田子町活性化事業として「田子牛の丸焼き」を行なっていた。88年には盛岡に行って「前沢牛」の地元に行って「黒毛和種の田子牛の丸焼き」をやってきた。グッド!
今回はなんと「米沢牛」本場の米沢市から、イベントの開催に協力してくれとの連絡があった。
上杉鷹山公のお膝下の城山にてみんなに振舞うということで、前の日から山形県米沢市にむかった。丸焼き出来る機械と黒毛和種の田子牛を持ち込みますとの条件で「田子牛の丸焼き」を承諾してもらった。グッド!グッド!
それから10日ぐらいした1989年10月17日に大地震が来た。日本ではなくサンフランシスコ周辺が震源地で姉妹都市ギルロイ市も被害にあった。叫び
 ギルロイ市の中心街に旧市役所オールドシティホールがある。その壁には1905年のプレートが埋め込まれているが、1906年の大地震のときは、運良くまだ工事中であったため壊れることはなかった。しかし83年後の今回の地震で被害がでて使用できなくなった。

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◎ロマ・プリータ地震(ロマ・プリータじしん、Loma Prieta earthquake)は、1989年10月17日17時4分にアメリカカリフォルニア州北部で発生した地震。地震の名前はサンフランシスコ郊外でサンノゼ市の南にあるロマ・プリータ山付近が震源地だったことによる。サンフランシスコ地震とも呼ばれるが、この名前は1906年の地震を指すことが多い。
◎サンフランシスコ地震(サンフランシスコじしん、San Francisco earthquake)は、1906年4月18日早朝にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ周辺を襲った、およそマグニチュード7.8[1]と見込まれる大地震。震源はサンフランシスコの近くを通るサンアンドレアス断層にある。地震及びその後の火災は、ハリケーン・ガルベストン及びハリケーン・カトリーナなどと並び、アメリカ合衆国の歴史の中で主要都市で起こった最も被害の大きい自然災害の1つとなった。
※日本からの援助金 [編集]日露戦争の翌年のこの地震の際に、日本政府は国家総予算の1/1000にあたる当時の金額で50万円(2005年時点換算で約600億円)を、苦しい財政の中から見舞・援助金としてサンフランシスコ市に贈った。更に、在サンフランシスコの邦人にと5万円を送った。
--------とウィッキより。

11月初旬の連休におこなわれていた田子町文化祭の会場入口でボランティアとして手伝ってもらった。その資金を得るのに自作したTシャツを提供した。サンフランシスコ地震の義援金カンパのお願い
田子のぐだめぎ Takko no Gudamegi
サンフランシスコ地震の義援金カンパのお願い
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サンフランシスコ地震の義援金カンパのお願い
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サンフランシスコ地震の義援金カンパのお願い
$田子のぐだめぎ Takko no Gudamegi
1905年建造のギルロイ旧市役所オールドシティホール
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1905年建造のギルロイ旧市役所オールドシティホール
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山形県米沢市のイベントに持ち込んだ「牛の丸焼き」の機械
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