78年正月は管さんのところで、その後大川さんのところに泊まる。1月末菅さんの新しい事務所「デボDEBO」がオープン。2月に国際免許証を取るため小金井にて申請。20日以上かかるとのことで。
このスケジュールに従わないといけなくなった。2月28日に交付される予定。新宿にある「秀インターナショナル」(今のHIS)ビザ手数料2500円往復航空代金の内金20000円払う、最安の大韓航空を選択せざるを得なかった、その訳は1年間のオープンチケットのため。京王デパートにあるユースホステル協会会員になれば世界のYH宿泊が安くなる??というので3年間代3300円を払う。
その間に外国にいくということで、報告するのに青森に帰省した。小舘敏夫、尾形隆一郎、久慈まさとし、宇藤充時ら同級生たちと飲む。兄弟より餞別をもらい東京に帰る。とにかくその頃はアメリカまで行くのに1ヶ月以上の準備期間が必要だった。

3月4日大韓航空KAL羽田発ホノルル経由LA着の便にて出発。羽田空港ロビーに鈴木、柴崎、橋野、池田、宮原さんら前の職場の同僚たちが見送りに来た。

1978年(昭和53年)今から34年前「写真家の夢を追いかけていた」
28才の3月であった。※現在ネット空間のなかには絶滅した写真集のこと【・・・前略・・ 1970年代末は日本の少女ヌードが量産を迎える出発点となり、「ロリータブーム」の開始時期。40万部を売り上げた石川洋司撮影の『プティフェ: ヨーロッパの小さな妖精たち』(1979年)から、『愛の妖精ソフィ』(1980年)、さらに森茉莉が文章を書いた『妖精ソフィ』(1981年撮影石川洋司)は、「人形のようにかわいい」シュールレアルな魅力によって一分野を開拓した。
1979年には山木隆夫撮影『LITTLE PRETENDERS 小さなおすまし屋さんたち』(ミリオン出版)が出版され、多くの一般書店に並んだことも重要な事件であった。本書は実売数万部と言われ、この種の写真集の需要が立証されることになった。これ以降1980年代のブームにかけて写真集の購入者層は男性中心に広がりを見せ、1982年には山木『LITTLE PRETENDERS Forever』が出版されている。・・・後略・・日本では1960年代から出版されていたが、1999年の児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の施行によってごく一部を除き出版・流通とも停止した。
】・・以上ウィッキより