結果的に敵国としての扱いは日系人だけに対するものであった。
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【フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、日系人人口が多いハワイにおける日本側の情報活動に危機感を抱き、1936年に作戦部長にあてられた覚書で「わたしに明確な考えが浮かんだ。日本の船舶と乗組員に接触するオアフ島の日系人の身元を極秘に洗い出し、有事に際して強制収容所に最初に送り込む特別リストに氏名を記載しておくべきだ」と提案している。
その後、1937年7月に行われた大日本帝国陸軍による中華民国への軍事行動に対する通商航海条約の継続停止措置。1940年9月に行われたフランス領インドシナ北部への進駐に対するアメリカ国内の日本人資産の凍結と貿易制限。さらに1941年7月に行われたフランス領インドシナ南部への進駐に対する8月1日の大日本帝国への石油の全面禁輸に踏み切るなど、日米間の関係が緊迫度を増した。日米間における開戦が危惧される中、同年11月にアメリカ政府は国内に在住する日系アメリカ人および日本人名簿の作成を完了した。
真珠湾攻撃その後アメリカが12月8日(アメリカ時間では12月7日)に大日本帝国海軍(以下日本海軍)艦隊によって行われた真珠湾攻撃をきっかけに、日本や日本を追ってアメリカに対して宣戦布告を行ったドイツ、イタリアなどの枢軸国と戦争状態に入った後、アメリカ政府はアメリカ本土及び友好国がその大半を占める中南米諸国に住む、枢軸国の国家をルーツに持つ日系アメリカ人と日本人、ドイツ系アメリカ人とドイツ人、イタリア系アメリカ人とイタリア人に対して「敵性市民」としての監視の目を向けることになった。
なお、開戦前にフランクリン・D・ルーズベルト大統領の命により日系アメリカ人および日本人の忠誠度を調査したカーティス・B・マンソンは「90パーセント以上の日系二世は合衆国に対して忠誠であり、日系人より共産主義者の方が危険である」と報告していた。
ドイツ海軍の潜水艦「Uボート」によりアメリカ東海岸沿岸やメキシコ湾沿岸からアメリカ国内に送られたスパイへの、ドイツ系アメリカ人による支援に対する疑いなど、大戦中を通じてドイツやイタリア系アメリカ人にも複数見られた。】
【この法令は「すべての敵性外国人に向けたもの」であるとされ、実際に、施行当初においてアメリカ国内で一時的に強制収容された半数近くは日米間の開戦直後にアメリカに対して宣戦布告を行ったドイツやイタリア系の移民とその子孫であった。さらにアメリカが経済的・政治的に大きな影響力を持っていたメキシコやペルー、コロンビアなどの中南米諸国でも、日系人のみならず、ドイツ系やイタリア系のユダヤ系を含む移民とその子孫が一時的に強制収容された。
アメリカ国内においては、この行政令が、カリフォルニア州やワシントン州、オレゴン州などのアメリカ西海岸沿岸州と準州のハワイ地域に住み、市民権が与えられない(あるいは剥奪された)日本人、アメリカ国籍を持つ移民一世と、その子孫で日本人の血が16分の1以上混ざっている日系アメリカ人達の強制立ち退きと「戦時転住センター」への強制収容に発展した。従軍中の日系人は収容こそされなかったが、除隊され敵性外国人とみなされたり、軍隊内で差別を受けるなど憂き目を見た。
在米ナチス党員(傘下のアメリカ・ナチス党党員を含む)やファシスト党員など本国政府との結びつきが強く、スパイ行為やテロなどの破壊行為などに携わる可能性が高いと思われるもの以外の殆どのドイツ系やイタリア系移民とその子孫は釈放されたものの、日系移民についてはその多くが釈放されないままであった だけでなく、その後の財産の放棄や、強制収容所への収容を行われることとなる。】・・以上ウィッキより