の続き
愛があるから平和がある。
それはわかる。
しかし、ひろ子は言いたかった。
私だって普通の女なんだと。
確かに大食いで大酒飲みで、音楽の趣味はイマドキではない。愛と平和の時代のロックが好きだ。
でも、私は聖人じゃない。
マザー・テレサでもジャンヌ・ダルクでもない。
世界平和より先に、自分の幸せが大事な小市民のひとりに過ぎない。
だいたい文脈を考えればわかるじゃない?
私が望むのは結婚だ。
結婚して、子供を持って、凪のような家庭を築きたい。
独身男女の愛の、その先にあるのは結婚だ。
そう思い込んでいる私は、実は保守的な女なのだ。
でも、このアホの中年男は、私に愛の告白をして、私が望むのは平和か、などとトンチンカンな推測をしている。
「まあ、いいわ」
とひろ子は思わずつぶやいた。
「私はまだ若いもの」
結婚を焦る年齢ではない。
この間抜けな中年が気づいてくれるまでもう少しだけ待つもよし、見込みなしと判断したら他に行くもよし、いずれにせよまだ時間はある。
「本題に入りましょ」
「本題?」
「次はMUSIC MANでしょ?」
「ああ、そうだった」
確かに2人は桑田佳祐の音楽史を辿り、語り合っているのだった。
「このアルバムはサザン、ソロの枠を超えた音楽人桑田佳祐の集大成だ」
「そうね。サザンが無期限で活動を停止した後に発表した最初のソロアルバムよね」
「そう、ちなみにサザンが無期限活動休止を発表したのが2008年5月18日、『MUSIC MAN』のリリースが2011年2月23日。
桑田さんはサザンを解散したかった。でも、桑田さんの意思で解散するにはサザンはデカくなりすぎた。だから無期限活動休止という穏便な表現で手打ちとした。桑田さんの中でサザンは過去のバンドとなり、サザンの縛りから解放された桑田さんはやりたい放題。ひとりサザンもソロらしさも混在するアルバムを作り上げた」
「タイトルのMUSIC MAN=音楽人という肩書きは桑田さんが1985年にリリースしたエッセイで使われているのよね。あの頃から桑田さんはサザンの桑田ではなく、ひとりでも立つことのできる歌手を志向していた。それは『Keisuke Kuwata』のリリース時点で叶えられたけど、音楽人というタイトルのアルバムをリリースしたことで、ついに桑田さんはひとりの歌手であることを高らかに宣言した。もうサザンの復活はないと私は思ったわ」
「ところがサザンは復活することになるわけだけどそれは次の機会に」
「葡萄🍇でね」
「このアルバムを語る上でもうひとつ忘れてはいけないのは桑田さんが大病を患ったことだ。その経験はアルバムに大きな影を落としている」
「『死』を如実に感じさせる曲が多いわよね」
「死と向き合い、死を乗り越えて歌にしてるね」
「桑田さん自身、この作品には満足されてるみたいね」
「桑田さん、自分の作品に不満を漏らすことが多いけど今回は違うようだね」
「これだけ隙がなければね」
「いつも隙がないと俺は思うけどね」
「人生には限りがある」
ひろ子は唐突に言った。
その言葉はまるで呪文のように武蔵に響いた。
すると遠くで雷鳴がとどろき、空が急激に暗くなった。
雨が続いた。
一滴、二滴と頭上から落ちてきた。
雨を避けようと2人が立ちあがろうとしたその時、背後で声がした。
「その通り。人生には限りがあるのよ」
2人は驚き振り返った。
武蔵が声を上げた。
「お前は⁉️」
(つづく・・・)