こちらは、終戦直後の1945(昭和20)

820に発足した沖縄諮詢会堂跡です。

 

琉球銀行石川支店の真裏にあります。

現在は、すっかり民家に戻り、

一般の方が住まわれていて、

史跡という感じは全くありません

 

沖縄県公文書館のデータベースによると、

当時、米軍政府は「駐留」の段階に移っていて、

住民代表で構成する諮問機関の設置を急がせたようです。

 

そのため米軍政府は、

全島39カ所の収容地区から124名の住民代表を、

ここ『石川』に招集し、

取り急ぎ仮の諮詢会を開催したそうです。

 

その中から、委員候補24名が選ばれ、

最終的に15名の委員が選出されて、

正式に【沖縄諮詢会】が発足したそうです。

 

現在で言うと、

沖縄県庁と総合事務局が合わさったような

重要機関なので、とても感慨深いですね。

 

当時の施設候補には、

戦火を逃れた民家が使われたため、

こちらの屋敷が採用されたようです。

 

集合写真は、ここ沖縄諮詢会堂前での

沖縄諮詢会委員のメンバーで、

前列左から3人目が委員長の「志喜屋孝信」氏だそうです。

(画像、沖縄県公文書館より)

 

沖縄諮詢会は、戦後の沖縄における

米軍政府と住民との「橋渡し役」として、

行政の基盤となる事業に取り組んだようです。

 

つまり、沖縄の戦後

「石川から始まった」ということですね。

 

たとえ歴史的な流れからとはいえ、

その時代忍耐強く勤勉に生き抜いた

先輩方の精神力心から敬意を表します