(※Quasi : クアジ(クワズィ)= 伊語,音楽用語。

“〜のように、〜のごとく” の意)



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‥なんの前触れもなく

秋 到来🍂

ですねぇ。

(意訳 : いきなり寒い




☝︎

ピアノレッスンスタジオf のエントランスで存在感を放つト音記号🎼

⬇️

‥生徒さん達は皆、コレのお陰(?)で《ト音記号》をすぐに覚えてくれます笑"

(実は僕もこのオブジェ?が結構気に入っています爆笑




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今回は(やっと😝)前々回の予告通り : 


【コンクール審査にまつわるアレコレ(審査の立場から)】 

についてまとめます✏️
(👆
これ、実は遥か昔書いておきたかった内容だったんだが...笑"
今回もあり得ないほどタイミングがズレ込みまくり‥笑い泣き

ちなみに、
本記事をいつから書いていたかと言いますと‥👅"
⏬⏬
下書き当時、こんな文面で締めくくっております。。
🔻
〈関わってくださった皆様、今年も大変お世話になりましたニコニコパー僕自身、来年も勿論レッスンに心血を注ぎ、そして演奏も、ね😎🎹

良い年をお迎えください門松絵馬お年玉鏡餅おせち

🔺

‥ヤベー😜笑




...ちなみに、

別に意図してたつもりはなかったんだけど、

コンクール演奏にまつわるアレコレ多岐に渡って言及した結果 : さながら、

【コンクール対策 虎の巻】

のような内容が完成してしまいました笑笑

(↑..嘘です笑‥あくまでご参考程度にニヤリ



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というわけで本題✏️



●まず、僕自身がコンクールを審査するにあたり、何よりも常に心がけていることとしては‥

A. ポジティブに愛情をもって聴く

こと。


B.(基本的には)

努めて空っぽのまま聴く

こと。

(↑これ、意外にムズいんだよなぁ‥

特にクラシック音楽の場合、

名曲と呼ばれるような作品の場合には繰り返し聴く機会が多く、ついつい過去の名演の数々と比較してしまったり or 知らず知らずのうちに物差しや判断基準が自身の中にできてしまっていたり‥

(🔺余談ですが、そういう意味でもやっぱりショパン国際ピアノコンクールというのは極めて特殊であり大変です‥😅)


というわけで、

先入観や固定観念を極力排除&ある意味ではアカデミズム等もあえて意識することのないよう心がけていますウインク


...けど、まあ蓋を開けてみたら、

単純に《良いものは良い》ニコニコ

そして、

『自身が演奏において何を最も大切にしているか?』

は、当然審査結果に大きく反映されます💡)


そしてそして‥

C.(努めて)

講評は丁寧な字で書く

こと。

(...なんせ筆圧強い&字が汚いので👈笑) 


あたりかなーグー




※以下、あくまで僕の考えや価値観に基づいた感想・または実際の結果と照らし合わせた上で抱いた印象です🖐️


※各コンクールの基準やルール等はそれぞれに全く違う&独自審査基準等には一切触れていません🤫



🔻🔻🔻🔻🔻




電球【1】

まず何よりも最初にお伝えしたいのは‥

ものすごく当然のことながら、

音(=タッチ)

すごーく大事

だということ。


そもそも演奏において、

“音”というのはほぼ命でしょう💡

(⚠️これに関しては楽器を問わない)


やはり音色というのは音楽演奏の本質的事柄の一つで、その価値はもはや全人類共通(⁉️)とすら言えます真顔


‥よく我々は、

「音が飛んでくる」

なんていう言い方をしたりしますが、

これは物理的に倍音をふんだんに含んだ美しい響き(これも当然耳&ある種のテクニックによってのみ成せる技です)であることは勿論🔥


なんというのかな...

🔽

心のエネルギーというか、

=精神面でグッと音楽(作品)や演奏行為自体(←間違っても〈弾いている自分自身〉では無い🆖)に強く心が動いた上で出てくる音(=有無を言わさず惹きつけてくる音色)というのには、やはり否が応でも引き込まれ+好み等を越えて耳を傾けざるを得ないですねニコニコ


これも考えると至極当然なのですが、

音楽演奏というのは99%の情報(曲のディテール他は勿論、エモーショナルな感動なども含めてね)を届けているのは、

結局は音自体なのです☝️

(オペラとかの場合は演技の要素も入ってくるので、またちょい話が変わってくるかもだが‥

🔻

※ちなみに、殊 少なくともピアノにおけるオーバーな身振り手振りは一切意味無ーし‼️

何なら音楽と関係のない不必要なアクションやジェスチャーは、単純にテクニック的に弾きにくくなったり耳が働きにくくなったり‥

または場合によっては、

派手な身振り手振りというのは、パフォーマンスとして捉えられ、審査員から反感を買ったりしてしまう可能性も大デスガーン


...まあ、↑こういうのって往々にしてオトナから仕込まれ教え込まれてたりするから、本人云々というよりは大いに周りの仕業‥かも滝汗??


※ただし、身体カチコチで音作りに必要なカラダの各部位を、未だ反応させられていない・自力では動かせていないようなケースの場合にはまた話が別)



...全楽器中で最も音が多いピアノ🎹

その膨大な音それぞれ、1音の中にどれだけの情報とエネルギーを込められるか=1音ごとのクオリティを高められるか‥

縦横いずれのラインにも必然性をもたせられるか‥

👉これら自体が演奏の説得力に大きくつながっていきますニコニコ


このあたりがまずは一つの大きなポイントメラメラ



電球【2】

そして、

演奏の開始の瞬間 : 

つまり、

弾き始め : 

冒頭の印象は ものすごーーーーーく大切。


これも意外に盲点となり易いのですが、

本来は最も大事となるはずの《演奏開始の瞬間》に関する意識が薄れ、弾き始めを成功させるための準備が不足し易い‥


いつ何時どんな状況においても、

まずは演奏開始: 冒頭を百発百中にできるように意識的に徹底した周到な準備が大切です💡

...出端をくじいてしまうと、その後取り戻すのはかなり難しい‥😓


→これに関しては、第一音を出す前の用意の仕方に全てがかかっている訳ですが、

《始まりを成功させる練習》

というのも、当然普段の練習で意識的に取り出して様々なパターンを想定した部分練習を繰り返しておかねばなりません☝️


『音を出す前から準備が始まっている』

という意識というのは、ある意味で完全に準備された(しかも極めて自然な)独り言のようなもの‥


(演奏を始める準備の大切さはいくら言っても言い過ぎということはなく、文字通り最初の第1音〜数フレーズ先までの準備が完全に整っている必要があります)


冒頭で集中力を欠いた状態では、とっ散らかって玉砕するのがオチ‥


まず、本番における冒頭箇所の心身の状態として、

『ねばならぬ』から解放され、言語化モード(注意事項の反芻などもっての外)とは真逆の状態に脳があること💡

↑これ鉄則👊


上手い人には、始まる前のあらゆる準備数々の中に必ずフォーカス(自然な集中力と音楽の流れ)が既に存在しており、何なら演奏開始前の動作からすら これから始まる音楽の流れを感じるものです。


第1音目から圧倒的なエネルギーと音の美しさが必ずあり、引き込まれる‥


このあたりは例え音楽的な方向性や内容が違っても、皆もうプロフェッショナルとしての〈整然さ〉という意味で必ず会得すべきものでしょうメラメラ


...このレベルに到達しているケースでは、

例えいきなり失敗があっても(繰り返すが : そういうレベルの人は当然1音目からよーく準備されて始まるので、あんまりそういう事態はないけどねゲラゲラ

⁂あくまでも例えば : 音楽に入り込むがあまり不思議な失敗が起こったり..もたまには起こり得る)、

音楽に惹き込まれればそれも別に気にならないものではありますがグッド!


また、

何かが上手くいっていないケースにおいては、

そもそも1音目〜数フレーズの間に色々なことが不足してる場合がほとんど&本質的な点での課題( : すごくベーシックな話で言えば、拍感や左右のバランス)が一瞬で顕となり〜結局最初から最後まで同じ事柄が問題となったり‥



というわけで、初っ端の印象というのは大体において当たる?のですニヤリ

(勿論、開始時点が全てとは言わないまでも‥

おおよその実力はマジで最初の数秒または数十秒で判明しますひらめき電球



まあ、開始時点での出来が後の演奏の質を担保するものではないものの、冒頭の印象が平凡な場合には(本質的な意味で)演奏としては終始凡庸になりがちというか...



電球【3】

ただし、

良くも悪くも後半部分も当然めちゃくちゃ大切です。


場合によっては、そこで十分挽回できる or はたまた後半で印象が悪くなってしまう可能性もありますネガティブ


特に三部形式(ABA"+Coda)のような楽曲(ショパンのスケルツォなどはその典型例)では、後半で持ち直せるとそれはそれで大いに評価されます。

(..⇒このケースの場合は

本来はもっと力はありそうなのに[←こういうのも当然分かります]、

⚫︎前半→

例えば:初めて触れるピアノへの対応で落ち着かない感じで進み、

⚫︎大きく曲想の変わる中間部などを経た後半(といってもやってることは前半部分と同じ=再現部)〜

→見違えるように本来の力を発揮出来る人が時々いたり など)


また、後半をどのように弾くか?

もとても大切です上差し

( : 分かり易い変化等あえて何かをオーバーにやらなくとも、前半部分を経た上で後半を弾くわけで、そこには時間 & 経験の積み重ねのような自然な気持ちの変化等...何かが欲しい🎹◀️これはどんな作品にも共通です)


これに関して僕自身すごく印象深く覚えていることがありまして‥

以前、

歌の先生が

「(曲の)前半の人生を既に生きているのだから、例えそれが全く同じ繰り返しだったとしても、当然その意味は変わる」と仰っていて、すごーく納得した覚えがありますニコニコ

※歌においては、有節歌曲*1などの場合などでも歌詞が明確についているので より分かりやすくはある


というか、曲の後半部分での失敗や未消化箇所などは、今度は後に尾を引く形で大きなマイナスに傾き易いものですガーン


*1 -有節歌曲-

→同じ旋律を複数回リピートの形で用い、その度に違う歌詞がつけられた声楽曲



電球【4】

上記に加えて、

各部分で何をやるかと同じくらい、全体としての結論や整合性・辻褄、各部分 前後における有機的な関連性もとても大事


⚫︎基本的に 音楽 というのは、

〈前の部分を受けて→次の部分が存在する〉

という大原理大原則がどの作品にも共通事項として存在します☝️

(※↑これは音楽のジャンルに関わりません)


🔼その上でさらに、

クラシック音楽というのは その各部分や各素材の発展〜展開にこそミソがあり & それは作曲家のウデの見せ所でもあります♪

🔻

(...これは、よく西洋的な概念として建築・ひいては構築力に例えられたりもします)

そして それが楽曲の形式面や音楽を構成する小さな素材の扱いに由来した大きな説得力へと繋がっていきます。


木を見て森を見ず、のような取ってつけたような事態は最も避けねばならないことです⚠️


何事もバランスが命🔥

⏩必ず全体の中から俯瞰した視点で部分を見た上で知的な計算を行うことが必要です。


...ちなみに、

どんなに部分としてのアイデアが良かったとしても、全体として聴いた時に突飛でおかしな印象を与えられた途端、それは興醒め要因に成り下がりです滝汗

(例えば、

→ある部分だけを異様に重く歌い込んだり‥

注意過度: 余計な飾り立てってあるやん?笑笑")


こういうのって、

何も考えずに誰かに言われたのをただやっただけ

とか、

複数の教師のアイデアを単に組み合わせただけ

のような場合によく起こり易く‥

ダッシュ

繰り返しますが、

「部分のアイデアはいいんだが...」

というのはどうしても違和感を覚えてしまいます)


仕上げの段階において沢山の先生のレッスンを受けることは勿論ポジティブな面も多いが、

⬆️

このあたり、きちんと全体のバランスを見極めた上で様々な意見を明晰に取捨選択する必要がありますOK



電球【5】

さて、ここで一旦音色の話に戻りますウインク


やはり、

効果的なハーフタッチ(浮いた音色 : 美しいpp) & 豊かなffは特別な音色です🎶


未だ根強く残る、旧型日本式ピアノ教育では 

とかく鍵盤の底までしっかり弾かせ過ぎるキライがあり、そうするとまず単純に(広いホールで聴くと)そば鳴り(一聴?一見?すると近くではデカい音に聴こえるが広いホールの最後列には全然届かない)に陥りやすく❌、または音量差が非常に乏しく平板な演奏となってしまいがちです

(➡️

※それなりのレベルの学習者でも、

曲全体がmfやmpの間くらいの音量で聞こえてしまう、という事態は往々にして起こり易く 音量の幅に関してはかなり意図的な意識付けと注意が必要です☝️

🔻

※単純に、

[しっかりと強弱がついてる]

=1曲の中・ひいては各部分の中に明確に強い音 & 弱い音が存在する、というのは思ってるよりも重要かつとても難しいことです☝️


※勿論 ある段階におけるトレーニングとして、

しっかりとしたマルカートなタッチの会得・オプションとしてそのようなタッチの選択肢が必要な場合もあります☝️



そもそも、

以前も書きましたが‥

ピアノの音色の(ほぼ)全ての可能性というのは、鍵盤のストローク約1cm / 重さ50g程度の中にこそ存在しますドンッ


(こちらの記事でかなり詳しく音色について書いています⬇️


とにかく、様々な音色の種類が欲しい&音楽的に色々なことが起こることはどんなレベルでも必要不可欠な要素ですウシシ

※あえてモノトーンに弾きたい場合は除く)



長くなってきたので、今回はこのあたりで👋



次回もコンクール審査アレコレについて書いていきますチョキ




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