「心霊一言」〜式神達の働き  式神守りの趣旨

昨年末にご紹介しました「式神守り」ですが、たくさんのみなさまよりご依頼がありまして、みなさまと正神神界の式神との“ご縁結び”をさせていただきました。

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正神之会の式神は、
「作次郎神」を頂点(統括)として
天道・天高・天将・天鏡・天心・天鬼・天玉・天命・天恵・天妙・天衣・天眼・白狐・朱狐・天狐・金毛
の、式神達が活躍してくれております。

それぞれの式神達は、その役目に応じた得意分野がありまして、複雑な現代社会に生きる、私たちの置かれた環境にはびこる邪気を祓うために、それぞれの式神がそれぞれの得意技を振るって、正神之会で行う神事を、助けてくれるのです

そして、私の身の守りを、日夜通して、担当の式神達が守っています。

ある意味「無敵の守り」と申しましても過言ではありません。

私も、日頃行う各種の神事の際には、この役目の違った式神達のお力に、随分助けられております。

その式神達を統治する「作次郎神」は、私と一心同体です。
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私が念ずること、望むことを、たくさんの式神達は、その役目に沿って、私の命に従って働いてくれるわけですが、
作次郎神は、その幾多の式神達の役目を詳細に把握しており、統括を図りつつ、式神達が、私が命じた仕事をこなしてくれるように、采配を振るうのです。

それはまるで、私がオーナーで、作次郎神が「監督」であるかのようです。

しかし私は、正神之会導神の「雇われオーナー」でありまして、
私は、真のオーナーであります導神および正神界の臣神に従うわけです。

私と作次郎神の“絆”はとても深いものです。
(ご参考  ※運命の出会い宝作次郎大神 https://ameblo.jp/takenichi/entry-12259265214.html  )
以前、このブログで紹介しましたように作次郎神は、私がたくさんの悪しき狐霊に囲まれた時、作次郎自身も、たくさんの邪気にまみれながらも、ずっと、私の近辺に居て、ひたすら、声をあげながら私に呼びかけてくれておりました。

「せんせい!」そう呼びかけてくれた作次郎神の声は、とても低くしわがれた声でした。

あの、可愛らしい姿からは想像のできないような、まるでおじいさんのような声だったのですが、最近になって、そのしわがれた声の意味がわかりました。

そうなんです。
邪気にまみれて正気を失っていた私に、ずーっと、声を上げて、呼びかけてくれていたのです。

「せんせい!せんせい!・・・」

不徳にも、その声に気付かなかった私のそばで、声が枯れてもなお、一生懸命、必死になって、呼びかけてくれたのです。

私は最近になって、そのことをふと思い出し、ハッとしました。

あの時の作次郎神の声の意味が理解できた時に、じわっと、涙が落ちました。

式神は、私が、私の意思を明確にはっきりと伝えませんと、自ずから進んでは動きません。

こうしてほしい、こうやってください。。。と、明確な指示を与えるのです。

そうでないと、式神は一切動きません。

しかし、作次郎神は、同じ式神でありながら、別格なのです。

それこそが、私と深い絆を結ぶ「一心同体」たる所以であるのです。

しかしながら、作次郎神の役目は、私の意思を受けて、式神達を動かす役目でありまして、
他の式神達と、私の縁を結んではくれません。

いく種類もの式神達は、私自身が、必要な式神達との縁を作らねばなりません。

わかりやすく申しますと、式神達を集めるのは、作次郎神の役目ではなく、私の役目だと言うことです。

どうやって集めるかは、今のところ申し上げられません。


私と作次郎神は、深い「絆」で結ばれております。

その「絆」が、なによりも大事であります。

絆とはすなわち「一心同体」である、ということでありますから、もし私が、うっかりとでも邪気にまみれて正気を失うと、作次郎神はおろか、その配下であります式神達にも、甚大な穢れが及ぶものです。


これは、十分に肝に命じておかねばなりません。

もし、あの時私が、一生懸命呼びかけてくれる作次郎神の声を聞き漏らしていたら、きっと今はありませんし、作次郎神にも、大きな穢れを及ぼしていたでしょう。

私の不徳が原因で発した邪気邪心が、作次郎神や式神達を穢してしまったとあれば、それは決して消せぬ、深くて重い「因縁」となって、たとえ生まれかわっても付きまとう、大きな悪因縁となるでしょう。

その悪因縁の影響を受けて、幾度生まれ変わっても、その十字架を背負って、生きていかねばなりません。

ですから、幾度生まれ変わっても決して、幸せにはなれません。

式神を使う者は、自分の行動が、良きも悪しきも、すべての式神達に、影響を与えることになることを、しっかりと認識すべきです。

責任重大です。

そんな中この度「式神守り」をご紹介することになりましたのは
何を隠そう「作次郎神」の発案でありました。

作次郎神は、あまたの「眷属神」につながっておられます。

眷属神とは、大神様のお使いをする“精霊”のことで、霊体は、龍、狐、犬、猪、鷲、蛇、鹿などの、この自然界に生きる動物達の「ひな形(きっかけ)」となりました自然霊達のことです。

大神様は、自然界を運営するために、これらの眷属神をお使いになるのです。

作次郎神は、同じく眷属神でありながら、私、正神之会の中村建日に従って、私のご神事のお手伝いをしてくれる者です。

ですから、元は自然霊であるものですから、眷属神にも精通しているわけです。

私達人間は、自然界の一部です。
何も決して「特別な存在」ではありません。

「人間は万物の霊長」などとの例えもありますが、それは人間の独りよがりから出る喩えで、狭い了見です。

自然界には、人間をはるかに超える存在がいます。

たとえ目には見えませんが、明らかにはっきりと存在しています。

それらが、眷属神であり、古神道では「八百万の神」と例えるのです。

私達人間に、一番近い存在であります、八百万の神々は、私達と密接な間柄にあります。

人間が、自然を破壊したり汚染したりしますと、たちまち穢れ及ぶのは、これらの八百万の神々です。

人間の我が物顔で行った自然環境破壊は、穢れた精霊達を輩出しまして、穢してしまった犯人である人類に、霊障を及ぼすようになります。

これを「祟神」とも申します。

その祟神の人類への霊障はとても根深く強力であります。

相手は祟神とは言えども“神通力”を持ち合わせておりますから、人間の知恵と常識を超えた出来事を引き起こします。

先祖の魂を縛ったうえで、永久に「成仏」出来ないようにすることも可能です。

先祖が浮かばれないと、その血を引く子孫も、迷いと苦労が深くなって、幸せになりません。

「血筋の因縁」は、私達が思った以上に、深刻な悪因縁です。

また、祟神の霊障は、人の精神に悪い影響を及ぼします。
その結果、家族や友人知人に至るまで、争いやいさかいを起こせさせ、絶えず、苦悩の中で過ごさねばなりません。

また、祟神は、人類に、ウイルスや流行り病を持たせて、治癒困難な病気をもたらします。

何しろ、元々は神様ですから、その神力は猛威となって、私達の心身に悪影響を及ぼします。
祟神の霊障は、実に巧みでありまして、中途半端な霊能では、浄霊や救霊などはできません。

八百万の神々は、ひとたび穢れ落ちると、人類にとって、大変厄介な存在になるのです。

祟神は、八百万の神々であり、自然界の精霊であり、大神様の眷属神でもあります。

古神道では、この世の災いはすべて、疫神や曲津神などの「悪神」が引き起こす祟りによってもたらされると考えていました。

ですから、穢れ祓いや鎮魂の技を編み出して、要所要所で、そのための神事を執り行っていたのです。

現代では、仏教はおろか、肝心の神道までも、御利益信仰の思想が主流となって、本来の日本人が捉え向き合ってきた「八百万の神」を、“人間にとって都合の良いもの”に、改ざんしてきたのです。

ですから、現代人の思想は、御利益信仰的精神の「困った時の神頼み」に成り果てて、挙げ句の果てに、自分の努力を忘れた「他力本願」の精神が「パワースポットブーム」を増長させたのです。

私たちが見舞われる不幸な出来事には、必ず、祟神の暗躍があります。

祟神とは、大神様の眷属神のことです。

それらの眷属神の祟りを鎮めるためには、祟りを及ぼす眷属神を鎮めるための、清らな眷属神の神力が必要です。

清らかな、正神神界の、臣神様の清め、鎮め、祓いの神力が、必要なのです。

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そのために、正神神界の命を受けた私と、私の式神達は、世に蔓延る一切の祟神の邪気を浄化しまして、元の清らな御霊に戻して差し上げる“救霊神事”を、行わねばならないのです。

作次郎神の発案によりお作りしました「式神守り」は、作次郎神の采配にて、それを身に付ける人の心身に憑依する「祟神」を浄化するためのものです。

私達の不幸を作り出す悪因縁には、必ず「祟神」が存在しています。

先祖の因縁にも、祟神が関わっていて、先祖霊の成仏を阻害しております。

この世の事件事故も、祟神の暗躍から及ぼされます。

「作次郎神の式神守り」は、作次郎神の采配で、あなたにとって最も最適な役目を持つ式神の御霊を、お守りに、宿してくれます。

また、万が一紛失されたり、洗濯してしまっても、無礼にはなりません。

なぜならば、お守りに宿るのは「神氣」という、式神が発するエネルギーのことですから、式神達の身体がこもるのではありません。

式神達の身体は、いつも、正神神界に在りまして、お守りは、距離や時空を超えて、お持ちのお守りを通じて、式神達の力が発現するものなのです。

いわゆる、正神神界に居る式神達が現れるための「扉」というわけで、お守りそのものは、“神界へ繋がるための道具”と、いうことであります。

不測の事態が起こった場合は、ご遠慮なくお申し出ください。

新しいお守りをお授けします。