11月23日、BIE(博覧会国際事務局)総会が仏・パリのOECD本部のビルで開催された。総会はいつもこの場所で開催され、この2年誘致活動で幾度か足を運んだ感慨深い場所である。今回は開催国を決める投票が行われるため、現地に赴いた。

 

 開催国の決定はBIE加盟170ヶ国による投票で、立候補した日本(大阪)、ロシア(エカテリンブルク)、アゼルバイジャン(バクー)の3ヶ国から選ばれる。当初はフランス(パリ)も立候補しており激戦が予想されたが、2024年のオリンピックがパリ開催に決定したことを受け、大規模な国際行事を2年連続で実施するのは困難との見方から立候補を辞退した。日本にとっては幸いであった。それでも誘致レースは熾烈を極め、ロシアは開催経験のないことを主張して支持を働きかけ、アゼルバイジャンは資源の豊富さを活用して石油関係国など独自のパイプで支援要請するなど、両国とも持てる力をフルに発揮した誘致活動を展開していたように感じた。投票日前日の夜は各国大使館への最終の支援依頼などで一睡もせず、投票直前には私はロシアの代表を訪れ、今回は日本の支援を強く依頼したほどであった。

 

 最終的には1回目の投票では日本85票、ロシア48票、アゼルバイジャン23票となり決まらなかったが、日本とロシアの決選投票において、日本92票、ロシア61票という結果で開催国決定を勝ち取った。本当に良かったと感無量である。

 

 私はこれまでの約2年、大阪万博実現のために全力を挙げて取り組んできた。万博誘致のきっかけは大阪府・市の提案によるものであったが、当時は関西財界はじめ国や政府、党としても歓迎する雰囲気はなく盛り上がりに欠けていた。自民党としても、政党間の関係をどのように捉えるのかという慎重論も多く噴出していたが、私の考えは違っていた。東京は2020年のオリンピック、名古屋は約9年後のリニア中央新幹線の開業で盛り上がっているのに比べ、大阪にはビッグプロジェクトがなく街に元気がなかった。大阪を東京や名古屋のように沸き立たせるためには、やはり万博のような夢のある大きな起爆剤が必要と考えた。それも特に、大阪にとってはこの時期が絶好のチャンスであろうと捉えた。

 

 そこでまず、与野党を問わず全政党が国を挙げて万博を招致する体制作りを行うことにした。私は超党派「2025年大阪万博を実現する国会議員連盟」を立ち上げ、会長は二階俊博・自民党幹事長にお願いし、私が事務局長を務めた。合わせて自民党本部内にも「2025年大阪万博誘致推進本部」を立ち上げ、本部長はこちらも二階俊博・自民党幹事長にお願いし、私が同じく事務局長を務めるという二重の体制で臨んだ。この組織のもと、今までに培った各国との友好関係をフルに活用し、議員外交による誘致活動を展開。約120ヶ国の在京大使館への支援呼びかけや、各国へ赴いて二階俊博本部長の親書を手渡しする等の活動を積み重ね、政府の誘致活動を力強く後押しした。加えて全国をブロック分けし各地での万博誘致の機運醸成や街頭活動の展開にも尽力した。

 大阪は今後、東京・名古屋と並び、活気溢れる街に大きく成長するであろう。万博の経済効果は2兆円規模との試算もあるが、私はその2倍の効果があると期待している。オリンピック後の次なる目標ができたことで、内需振興と景気維持にもつながる。次は万博成功に向け、人類の博覧会史上、いかに素晴らしい花を咲かせられるかである。世界の人々に夢や希望を与えられるよう、引き続き全力を尽くす所存である。