前回いつ書いたか覚えてへんくらい久し振りにブログ。

6月から始まったこのツアー、発表になった頃は意気揚々とハコの場所調べたり、泊まりになりそうなとこは宿探したり色々してたな。

終わってみれば計15箇所。

期間が長かったのもあったけど、ひとつのツアーでこれだけ通ったバンドもなかったし、あっちゃこっちゃ走り回った事もなかったから個人的にもすごく思い入れのあるツアーになりました。

けど、色々と思う所があって行けたのに見送った場所も何回かあった。

決してバンドに問題があった訳じゃなく、あくまで個人的問題。

内容は書けへんけど…

何回もプリズナーの事嫌いになれたらもっと楽やのにな、もう行かんとこって思った事もあった。
これで最後にしようって何回も思った。

胃に穴開くかと思うくらい体調崩した事もあった。

それでもやっぱり嫌いになった訳じゃないし、あくまで自分の問題やから行けるとこは近かろうが遠かろうが車を走らせた。

よくあのバンド好き、このバンド好きってレベルじゃなくて、メンバーの人間性で好きやったからやっぱりライブ観て、終わった後話ししてめちゃくちゃ楽しかったはずやのに帰りの道中は何か気が重くなってしんどくなってた。

そのツアーファイナル、そんな状態やったから正直その時になって自分がどうなってるかわからんかったけどとりあえずチケットと帰りの足は抑えてた。

関東方面に行かない、避けてる原因がファイナルに参加する事を知ってその場に居合わせたら確実に100%楽しめへんのもわかってるし、何より常に100でライブするメンバーに100で返せへん自分がそこにいたらあかん気がして、どんどん行かない方向に気が向いてった。

セミファイナルの大阪、チケットも買ってたから帰り際に事情を知らないメンバーから「次はファイナルでねー」って声掛けられるのがほんとに辛くて申し訳ない気持ちでいっぱいやった。

そしてファイナル前日の夜、友達からのLINEで諸々の事情を聞く事になり、自分1人でどうにかなる訳じゃないけど何とか協力したい気持ちの方が強くなってとりあえず行く決心を固めた。

自分が我慢すれば良いだけの事。
それで全てが上手くまとまるんやったらそれでいいわって思った。







ライブがスタートして、いつも以上に盛り上げて来るメンバーを見てそれまで悩んでた事があほらしく思えて来るくらい最高のステージやった。

ただ、やっぱり視界に入って来るとそれまでの心底楽しかった気持ちが一瞬でも冷めてしまって、メンバーの顔をまともに見れへん瞬間が何回もあった。

ライブはこれまで観たどのライブよりも最高やった。

行くかどうか迷ってたのを知ってて、僕が行った事に対してファイナルで会えると思ってなかったよって涙ぐんでくれるメンバーもいた。

ありがた過ぎて貰い泣きしそうになったよ。

でも、何もかも忘れて手放して楽しかったとは言えへんかった。

行った事に後悔はしてないけど、何とも言えへん複雑な気分やった。


3日経った今もライブの余韻が残ってる。

それはそれだけ最高なライブをメンバーが見せてくれたから。

次に行けるライブまでしばらく期間も空くから、これから先自分の気持ちがどうなるかわからへん。

ただ、今確実に言えるのはこれまでの5年間、離婚して1人になってからは特に僕の人生の中に常にプリズナーがあった。

それはこの先、仮にライブに行かなくなったとしても変わらへんと思う。

絶対に。

みんなの存在は僕の人生を変えてくれた。
出会ってくれてありがとう😊

とことん付き合う覚悟は出来てるよ。


2017年7月18日、下北沢Gardenにて行われた一夜限りの復活ライブ。

これまでも数回ワンナイトで復活ライブはあったけど、今回のはそれまでと違った意味がありました。

難病を抱えたtaishoの50歳バースデー。

11月頃かな?DOG FIGHTやるよって聞いた。

taishoのブログやTwitterで病気の事は知ってました。

しかし、去年頭くらいのWDRSの映像と後半の映像を見た時、正直声が出ませんでした。

そこまで進行が早いのかって。

taishoとはDOG FIGHTがまだ活動してる時に出会って、その後ソロ、TOUGH BAND、そしてWDRSとずっと追っ掛けてきたアニキの1人。

会う度に子供達をいつも気に掛けてくれて、僕の身体の事とかも心配してくれて本当に頼もしく、ステージの上ではこの上ない存在感もあり、男が憧れる男の代名詞と言っても過言ではないカッコいいアニキです。

そんなtaishoが原因不明の難病と戦う事になるとは想像もしてなかった。

離婚した時も申し訳ない気持ちでいっぱいで、なかなか言い出せなかったのですが、意を決してDMを送った際も物凄く丁寧にお返事頂いて、頑張って欲しい気持ちを伝えるつもりが逆に僕の背中を叩いて貰ってこれ以上ない励みになりました。

DOG FIGHTが観たいというよりtaishoに会いたい気持ちが正直勝ってたかな?

もちろんDOG FIGHTは僕の青春そのものやったし、活動中に父親になったりと人生の分岐点で必ず曲で背中を押してくれたバンドなので、DOG FIGHTがまた観れる喜びもありました。

ただ、発表されたのが11月、ライブが7月、実際どうなってるのか誰にもわからないままやったと思います。

いざ、その日の朝になってtaisho不在って事もあり得るかも知れない。

この半年、ずっと不安と期待と早く来て欲しいという願いと来て欲しくないという想いと、色んな事が頭ん中で交錯してました。

そして当日。

この日はtaishoのお誕生日でもあるので、朝一にTwitterでお祝いのメッセージ飛ばしました。

しばらくして「やり残した事はないから真っ向勝負で行くよ」って返信がありました。

とりあえずtaishoに会えるって事だけでひと安心したのと嬉しさが込み上げて来て家でひと泣きしました(笑)

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そして会場到着すると続々とDF Tシャツ来た方が集まって来て初めて会う数人の方と色々とお話しさせてもらえました。

みんなそれぞれ色んな想いでここに来られたんやなぁって。

オープンしてスタートまでの間もたくさんの懐かしい顔に会えて嬉しかったな。

そして暗転した後、スクリーンにMAYBE TOMORROWのPVが流れ、会場にいるみんなで大合唱。

メンバーもいないこの時点でもうひと泣き(笑)

そしてスクリーンが上がり、NAOKIさん、KENちゃん、KI-YANの後にtaishoの姿が見えた時、もう号泣でした。

杖をついて、ゆっくりゆっくりステージ中央まで歩くtaisho、正直大丈夫なの?って思った。

でも、いざライブが始まるとそんな思いも払拭させるくらいの気迫で、時折曲のテンポに声が追い付かない事もあったりしたけど、曲を追う毎に声も出てこれまでに見た事のないくらい輝きを増したtaishoの姿が見れました。

僕らでさえ汗が止まらんくらいの熱気と酸欠状態、MCの度に酸素吸入してる姿が痛々しくも感じたけど、それでも絶対に座らない、立ち上がったまま熱唱するtaishoはホンマにカッコ良かったし、今、この瞬間を五感全てで体感出来ている事が誇りにさえ思えた。

途中、何回ももういいよ、ちょっと休みなよって思うくらいしんどそうな場面もあったけど最後まで立ち上がったまま歌い切りました。

僕がアニキと勝手に思って勝手に慕ってた人は想像を遥かに超えるデッカいデッカいアニキでした。

と同時に人はあそこまで力強く生きられるもんなんやって教えられました。

taishoならきっと、病いなんか物ともせずにまた立ち上がるんやろなって思った。

ライブ中、ずっと心配そうに見てたNAOKIさんKENちゃんKI-YANの優しさも感じる事が出来た。

心配させまいと冗談言ったり、自虐ネタも交えながら共に過ごした2時間半、身体は不自由になったかもやけど目だけはあの頃のまま鋭くギラギラと輝いてたよ。

もちろん目だけじゃなく、taishoの存在が輝いてた。

taisho、本当にお疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。



帰り際、少し話せる時間があってtaishoは10月に、次はWDRSでステージに立ちます。
その日の再会を約束してくれました。

taishoのあの姿を見て、これからもずっと背中を追い掛けて行くと誓いました。

会場みんなでtaishoに捧げたひまわり。
taishoは太陽、taishoに向かって花を咲かせ続けるひまわりになれるといいな。

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何かすげー久しぶりにブログ書いてみます。


明日、4月19日は僕の離婚記念日になります。
去年の同日、正式に離婚しました。
その前の年の秋口から別居はしてたので、1人になったのはもっと前なんやけどね。

1年経った今、もうすっかり生活は安定と言うか馴染んだと言うか、元々出張の多い前職やったので1人で生活する事に関してはさほど苦痛ではなかった。

しんどいけどね。

家庭を守るという足枷が外れた分、自分のやりたい事、行きたいとこ、欲しい物、何でも自由になった。

信頼出来る人には本当の離婚の理由は説明しました。

皆、口を揃えて返ってくる言葉が「離婚して良かったやん」でした。

結果的には良かったんかも知れないけど、僕も中学の頃に両親が離婚して、親が離婚した子供の気持ちは痛いほどわかってたつもりやったのに、その想いを自分の子供にさせてしまった事に対する罪悪感はいつまでも拭えない。

せめて子供2人共が成人するまでは親の役目として面倒見るべきはずやのに、それを放棄する形になって自分のペースで生きてるのが果たして良かったのかな?って自問自答の繰り返し。

「自分の為に生きてりゃいいやん」て声も掛けてもらったりもするけど、何か違う気もして…

心配してくれるたくさんの人たちに支えられて、今こうして遊びに行ったりアホな事言い合ったり充分楽しく生きてるけど、やっぱいつになってもスッキリはしないし、これからもずっと引きずったまま生きて行くんやなぁって思う。



別居を始めてから、それまでの20年間全て否定されて、もうホンマに這い上がれへんくらいドン底まで落ちてた。

何を信じていいかわからんし、とにかく人に会うのが嫌で嫌でしょうがなかった。

全くの他人ばっかりいるスーパーに買い物に行くのもしんどくて、何度もいらん事考えてた。

でも、そんな時に周りに助けられた。

もちろん、僕がそんな状態やったからそこで離れてった人も大勢いた。

それはそこまでの付き合いやったんやなって今になって思う。

キレイ事並べて、親友やからとか何かあったら助けるからとか都合いい言葉並べてたけどね。

その中でも毎日の様にLINEくれたり電話くれたり、手を差し伸べてくれる人がいたおかげで今まだこうやって息してる。

友達とか親友とかもうそういう枠じゃなくてね。

やからその人たちの為に出来る事やろうって前向きになれた。

僕がここ数年でプリズナーに思い入れしてるのもその理由のひとつ。

別居してから3ヶ月目に久しぶりに美玖と一緒に広島までライブ行って、その打ち上げでおさむーとナナちゃんにホンマに泣きそうになったくらいあたたかい言葉をたくさんもらった。

その時はまだそんなにライブも行ってなかったのに、おさむーは色々と何か良い方法がないか調べてくれてたらしい。

ナナちゃんもそう。

ホンマにありがたくて、そこで1人になったけど孤独じゃないって思える様になった。

あれから1年半ほど経ったけど、そこからまた新しい出会いもあり、今は仕事もそれなりに忙しくてなかなかキツい事も多いけど充実した毎日を送ってると思う。

方やよく知りもせん連中からしょーもない噂流されたり、相変わらずくだらん連中に付きまとわれたりもしてるけど…(笑)

正直、この先どうなるんか、いつまで生きれるんかわからんし、自分の事甘やかしたくないから生き急いでる感じもせんでもないけど、人生のゴールテープ切る時にこれ以上後悔しない様に、支えてくれた人たちにひとつでも恩返し出来る様になれればいいなと思ってます。

それは気ぃ使ってるとかそんなんじゃなくて、僕がやりたいからそうしたいだけ。

少しでも周りの人たちの支えになれればいいなってね。



まだまだぶっ倒れるまでとことん突っ走るよ。