こんにちは
見に来ていただきありがとうございます
武田しのです
私が見た目の専門家を目指すに至った
これまでのお話を書いています
今日はその5回目
決して美しい話なんかではなく
けっこう重くて 長くなりますが
お時間ある方は
どうぞ お付き合いくださいませ
はじめましての方は
からお読みいただけると うれしいです
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2つの腎臓の両方同時に腫瘍が出来る
小児がんだった1歳の息子
丸一日がかりの大手術
10キロにも満たない小さな身体から
野球グローブのような
巨大な腫瘍のかたまりが取り出され
※ 主治医に見せられました…
一緒に
片方の腎臓も失いましたが
もう片方の腎臓の腫瘍は
良性とのことで
腎臓は1つ
残せることになりました
その後 退院
通院で 残りの化学療法を行い
それもすべて 終了
長期の入院生活で
歩けなくなっていた息子でしたが
リハビリをしながら
ようやく
普通の子と同じような日常生活を
取り戻すことができました
今までの分を取り戻すために
いろんなところへ家族3人で出かけました
生活のために
私も少しずつ
働かなくてはいけませんでしたが
また以前のような
社労士としての起業は
もう 考えられませんでした
パートを探そうとしていた矢先
なんと
私が 社労士受験をするきっかけとなった
あの
憧れの女性社労士の先生ご本人から
よろしければ うちで働きませんかと
直接 お声をかけていただきました
SNSなどで
うちの事情を知っていてくださいました
仕事が探しづらいであろう私に
救いの手を差し伸べて下さったのだと思います
私には
あまり向いていない仕事であることは
分かっていたので
悩みましたが…
私がずっと憧れていた先生で
この先生がいなければ
あの過酷な試験に 挑戦することも
乗り越えることも 無かったので
こんなチャンスは二度と無いと
そばで働かせていただきたいと思いました
ですが
実際にまたお仕事を始めていくと
わたし自身が気づいていたとおり
コツコツと緻密な作業を積み重ねていく
そのお仕事は
私には
本当に本当に
適性が無かったようで
失敗の連続
やっぱり 迷惑をかけまくる毎日で
先輩従業員の皆さんには
余計な仕事を増やすような失敗ばかり
たくさんの ご迷惑をかけました
その間
憧れの先生は ずっと
励まし続けてくれていましたが
期待に添えない自分が
ただただ 申し訳なかった
実は
お仕事開始の直後に
第二子の妊娠が分かり
激しいつわりと戦いながらのお仕事でした
出産後 すぐに復帰させていただいたのですが
苦手な仕事をしながら
通勤に1時間半かけて 職場に通い
小さい子どもたち2人を育てていくことは
不器用な私にとっては
ほんとうに ほんとうに
大変なことで
また私は
息子に病気が分かる直前の頃のような
自信喪失状態に
戻りつつありました
夫にも 相談して
私は
子育てをサポートしてもらえる
義父母の家のそばに転居することになり
社労士事務所での仕事は
辞めさせていただくことになりました
先生にも家庭事情ということで
ご理解いただきました
憧れて 大好きだった あの先生に
声をかけていただいたのに
最後の最後まで
全然期待に添えなかった自分が
とても不甲斐なくて 申し訳なくて
情けなくて 悲しかった
なにより いつまでも
結局 なんにも
変われないでいる
自分が大嫌いでした
転居してからは
夫と義父母以外
誰も知り合いのいない環境で
子どもたちと
引きこもるようになりました
今の私のままじゃ 何も変わらない
ということは 分かっていました
私は 自分を立て直すべく
あらゆる
自己啓発本や
心理の本を読み漁りました
そして もう1つ
私が 自信を持てるようになる
きっかけとなった
出来事がありました
次は最終回