昨日、京都新聞主催の「日本人の忘れもの 知恵会議フォーラム」に、ご招待いただき、聴講させてもらいました。

哲学者・鷲田清一さんの講演では、今宮神社のあぶり餅には「元祖」「本家」があって、共倒れせず、うまく共存しているなど、京都ならではの話題も満載でした。

その後のパネルディスカッションの内容を聞いていると、どうやら、今回の主要なテーマは、あぶり餅ではなく、「中景」のようでした。
 

「中景」とは、近景(プライベート)でもなく、遠景(パブリック)でもない、地域コミュニティや組合、学校、会社、お寺など。

大災害になれば、「中景のやせほそり」という問題が、一挙に顕在化すると。自分たちで自分たちの生活のめんどうを見られない、遠景(国家)に依存しすぎる現代社会の弱さが。

「中間のやせほそり」対策として、働きがいを感じる風土の創出や、文化の違いによる「心の壁」を乗り越える「いのち」の視点、たき火によるコミュニケーションなど、様々な興味深い提案がされました。
 

ただ、話を聞いていると、アタマの中で「内景」という言葉が、グルグル頭を巡り出します。

中景を含む「外景」(他者との関係)の問題には、「内景」(自分との関係)が深く関わっているからです。

自分の「体景」(カラダの在り方)、「心景」(心の在り方)が、いかなるものか。現代人が「自分のカラダを感(観)じる術」を失っていることが、「中景のやせほそり」の大きな原因となっているように思えて仕方ありません。

今回のフォーラムは大変に有意義なものでした。あぶり餅でも食べながら、書と身体を通じて「内景」「中景」を再生・創出する場所づくり、これからも続けていこうと思います。