小泉首相の「師」 | 福島県在住ライターが綴る あんなこと こんなこと
2006-06-05 04:35:52

小泉首相の「師」

テーマ:人生
6月4日読売新聞の政治欄に
共感する記事が載っていたので、抜粋させていただきます。

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政治万考  編集委員 浅海伸夫


自民党総務会長などをつとめた松野頼三氏が
5月10日亡くなった。享年89歳。

松野氏逝去の報に、小泉首相は、記者団に

「びっくりしています。
つい最近も電話で話したばかりなんです。
元気いっぱいでね。『よく(君も)5年やってきたね』
(と言われて)」

と切り出すと、こんな思い出話を始めた。


---略---


1976年、ロッキード疑獄で田中角栄前首相が逮捕され、
自民党内では「三木おろし」が吹き荒れていた。
権力欲むき出しの、全党を巻き込む政争だった。

佐藤(栄作)派だった松野氏は、
三木元首相のことを
はじめ「毒草」のように考えていた。

ところが、これが「案外、薬草になることもある」
と思いなおして、
新しい発想の三木改革政治を支えていったのだ。
(『保守本流の思想と行動』)

2001年の春、小泉氏が
東京・永田町の松野氏の事務所を訪れたことがある。

「今度で3回目、また出ようかと思っています。
でも、落ちるといやですねぇ」
小泉氏は、ポスト森の自民党総裁選に
3度目の立候補をしようとしていた。

松野氏は答えた。
「ばか言うなよ、小泉君。
三木は3回やって4回目で当選したんだよ」

三木氏は、1968年から3回立候補して落選し、
74年のポスト田中の総裁選で「椎名裁定」によって
首相の座を得た。

これを思えば、4回目だってある、
と言って励ましたのである。


松野氏は以前、小泉首相のことを
こう評していた。

「長い間に堆積した派閥政治の泥沼に咲いた
一輪のハスの花」


自民党が政権党として限界点に達したとき、
「時世が人を呼ぶ」ことがある。

松野氏の目には、
三木氏と小泉氏は同じように移っていたのかもしれない。


小泉首相が自衛隊のイラク派遣を最終決定したのは、
2004年1月のことだった。
首相は決定前のある日、松野氏に電話を入れている。
松野氏はどう応じたか。

君のじいさん、おやじの仏前で相談することだ。
ひとりで決めなさい。
それが一番正しいだろう。
外交と解散権は、総理の最大の任務なんだ。
そのかわり、責任は全部、君が負わなくてはいけない。」


松野氏は、
ある時は首相に権力への執念の大切さを教え、
またある時は、
権力者の孤高の決断の重さを説いて、
首相を突き放していた。


---中略---

側近らしい側近も、
盟友らしい盟友も数少ない首相にとって、
松野氏の存在はとても大きかった。

政界だけでなく、どの世界でも
「師」を得にくくなった昨今、
よき先達をもてた首相の幸運を思わずにはいられない。

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あなたは
「よき師」を、お持ちですか?





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